【1月27日 AFP】ウクライナのドネツク(Donetsk)市に住むルスラン・チェボタイエフ(Ruslan Chebotayev)さんは、分離独立を掲げる親ロシア派が同国東部を制圧した時、まだ10歳だった。

 ウクライナの10代の若者たちは、この時に始まった戦闘で希望や未来を奪われたと話す。

 工業都市ドネツク周辺では、毎日のように砲撃の音が鳴り響く。だが街中を走る戦車のごう音にも、夜間外出禁止令による不気味な静けさにも、若者たちは慣れっこになっている。

「子どもの頃からずっと戦闘の音が聞こえていました。砲撃とか、街を動き回る戦車とか」とチェボタイエフさんはAFPに語った。

「ずっと平和を願ってきました。戦いはうんざりです」。市中心部に立つロシア革命の指導者ウラジーミル・レーニン(Vladimir Lenin)の像の横で、17歳の学生は言い放った。戦乱で荒れ果てた故郷は今、雪で覆われている。

 平和への見通しは暗い。特にロシア軍が分離派の支配領域の端に集結していると欧米諸国が警告している今、希望はほぼない。そしてこれは2014年以降、1万3000人が命を落としている長期紛争の最新の一章にすぎないのだ。

 ドネツク住民の多くは友人や親族を失っている。ドネツクから出たいと言う医学生のダニール・チェボトク(Daniil Chebotok)さん(20)は「そのことについて話すのはつらいです」と述べる。

 しかし、「初めは怖かったけれど、いつのまにかそれが普通になった。もう爆発も銃声もいつものことで、むしろ慣れてしまいました」と続けた。

 親ロシア派は「ドネツク人民共和国」の建国を宣言し、ドネツク市を事実上の首都としている。だが、市内では銃撃による死者が絶えない。