【1月15日 AFP】テーブルの上で丸い小さな駒をはじく「ボタンサッカー」。ハンガリーでは、100年前に考案されたこのシンプルなゲームが今でも人々から愛されている。

「伝統的な競技ですね。フランス人にとってのペタンク、アメリカ人にとっての野球と同じです」とAFPに語るアティラ・ベッツ(Attila Becz)さん(65)。同競技専門のミュージアムの館長だ。

 ボタンサッカーは、スムーズな表面の大きなテーブルに描かれたサッカーフィールドで競われる。2人の競技者が戦略と手腕を駆使して、それぞれのチームの駒をコントロールする。丸い「選手」の駒は、ピック、指あるいはくしのような道具で、それぞれ1回ずつ動かすことができる。

 このゲームは、ブラジルでも人気がある。ハンガリー同様に長い伝統を誇るが、異なるルールが適用されている。

 1960年代~70年代、コンピューターゲームが普及する以前、当時まだ子どもだったベッツさんはボタンサッカーで遊んだ。「ボタンの選手」の収集を始めたのは8歳の時だったという。

 100年前にこの競技が生まれた当時は、現在の円盤形の駒ではなく本物のコートのボタンが使われていた。1940年代から競技用のボタンが大量生産され、1950年代にはサッカー選手の写真も付くようになった。

「夏は道端や空き地でサッカーをして、冬になると屋内でボタンサッカーをやりました」と話し、「サッカーに夢中だった子どもには、他にやることがほとんどなかったのです」と付け加えた。

 それから数十年後、首都ブダペスト近郊のシゲトセントミクローシュ(Szigetszentmiklos)市に、世界で唯一と自負するボタンサッカーのミュージアムを開いた。

 小さなホールに置かれた飾り棚には、骨董(こっとう)的価値のある1920年代のボタンや、昨今のスター選手の肖像があしらわれたプラスチック製ボタンのセットが陳列されている。

 壁には、ブラジルのペレ(Pele)氏や往年のハンガリー代表フェレンツ・プスカシュ(Ferenc Puskas)氏ら伝説のスターがボタンサッカーのテーブルに身を寄せる写真の数々が掛かっている。ボタンサッカーの時代を超えた人気を証明するものだ。

 ベッツさんは「(競技としての)サッカーをハンガリーに導入したのは外国人のコーチでした。そして、サッカーの戦術を示すための木製の作戦ボードを応用し、ハンガリー人が1世紀前にゲームを生みだしました」と説明し、「以前はさまざまなルールがありました。使っていた本物のコートのボタンは、テーブルの上をよく滑りました」と続けた。

「ボタンサッカーとハンガリー代表にとって黄金時代でした。その頃、プスカシュが引っ張る代表チームは世界サッカーの頂点にいたのです」と当時を振り返った。

 一般的に年配層から愛されているボタンサッカーだが、より若い世代にもカルト的人気がある。競技の統括団体によると、国内30以上のクラブに約1000人が登録しているという。

 昨年11月、ブダペストでボタンサッカーの大会が開かれた。競技者として参加したエドバルド・カトナ(Edvard Katona)さん(28)はAFPに対し、ビデオゲームにはないシンプルさが魅力なのだと語った。

「自分たちにとっては、国際サッカー連盟(FIFA)公認コンソールゲームのアナログ版のようなものなのです」

 映像は2021年11月に取材したもの。(c)AFP/Peter MURPHY