【2月14日 AFP】インド東部コルカタ(旧カルカッタ)郊外のスラムに住むスルターナー・ベーガム(Sultana Begum)さん(68)は、ムガール(Mughal)帝国皇帝の末裔(まつえい)の配偶者だとして、かつて皇帝が暮らした城塞(じょうさい)の所有権を主張している。

 ベーガムさんの自宅は2部屋しかない狭苦しい小屋で、わずかばかりの年金で暮らしている。数少ない持ち物の一つが、ムガール帝国最後の皇帝のひ孫とされるミルザ・モハンマド・ベダール・バクト(Mirza Mohammad Bedar Bakht)さんとの婚姻証明書だ。

 バクトさんが1980年に亡くなって以来、ベーガムさんは生きるのに必死だった。ここ10年間は、当局に対し、皇帝の末裔の配偶者であることを認め、相応の補償を支給するよう求めている。

 具体的には、17世紀に首都ニューデリーに建造され、ムガール帝国の皇帝が暮らした「レッドフォート(赤い城、Red Fort)」の正当な所有者だとして、訴訟を起こしている。夫バクトさんが、最後の皇帝バハードゥル・シャー・ザファル(Bahadur Shah Zafar)の子孫であるというのがその根拠だ。

 アジアとの貿易を独占的に手掛けた英国の「東インド会社(East India Company)」の勢力拡大を受け、帝国の領土はザファルが即位した1837年頃までには首都圏域にまで縮小していた。

 1857年には英国支配に抵抗する「インド大反乱(セポイの反乱)」が起き、当時82歳のザファルが指導者として担ぎ出された。英国軍は1か月足らずでデリーを包囲。ムガール帝国側が降伏したにもかかわらず、ザファルの息子10人全員を処刑した。

 ザファル自身は隣国ミャンマーに流刑となり、5年後に一文無しで亡くなった。

 デリー高等裁判所は昨年12月、ベーガムさんの訴えを「まったくの時間の無駄」と退けたが、ムガール帝国の末裔の配偶者だとの主張については判断を示さなかった。一方で、ザファルが流刑となって以降、150年にわたって他の子孫がなぜ同様の訴えを起こさなかったのか、弁護団は説明できなかったと指摘した。

 ベーガムさんの代理人を務めるビベーク・モア(Vivek More)弁護士は、上訴の意向を示した。

■「正義はなされる」

 ベーガムさんは1965年、14歳で32歳年上のバクトさんと結婚。バクトさんは占い師をしてわずかな収入を得ていたが、家族を養うには足りなかった。

 ベーガムさんはかつて数年間、自宅近くで小さな茶屋を営んでいたが、道路の拡張工事のため店を閉めざるを得なかった。今は、1か月当たり6000ルピー(約9000円)の年金で暮らす。

 皇帝の遺産とレッドフォートの正当な相続人であることを公に認めてもらえることを、まだ諦めていない。「きょうでもあすでも、10年後でもいい。権利があるものはいただきたい」とベーガムさん。「必ず正義はなされるでしょう」(c)AFP/Sailendra SIL