【1月5日 Xinhua News】中国浙江省(Zhejiang)杭州市(Hangzhou)でこのほど、商(殷)代(紀元前17世紀~同11世紀)末期の鋳銅工房遺跡が見つかった。

 遺跡は、発見された同市余杭区中泰街道跳頭村の村名を取り「跳頭遺跡」と名付けられた。同村は西側の山地と北側の平野の境界にある河谷の沖積地帯に位置しており、東苕渓(とうちょうけい)支流の南苕渓と杭州未来科技城からほど近い。

 同市文物考古研究所は2020年7月、予備調査の結果を基に同遺跡の発掘調査を開始。3千平方メートルの発掘エリアからは良渚文化、広富林文化、馬橋文化から商代末期、西周、春秋戦国時代に至る各地層と遺構が見つかった。一帯は春秋時代以降、長期にわたり南苕渓と合流する南湖の底に沈んでいた。

 商代末期の地層からは、保存状態の良い石範(青銅器の鋳型)や青銅器、銅錠(どうてい、銅地金)、礫石(れきいし)、木炭など鋳銅に関係する遺物が多数出土した。同研究所の職員によると、同地層は遺構の保存状態がよく、出土品も豊富で、集落構成も最も整っていた。当時の人々は灰溝を掘り、畝(うね)を立てることで、作業エリアと生活エリアを分けていたという。

 出土した石範の材質はシルト岩だった。石範ごとに鋳造する器物がほぼ決まっており、発掘では青銅の斧や矛、矢などが見つかっている。石範周辺で採取したサンプルによる放射性炭素年代測定では、3千年前前後との結果がでた。

 商代末期の遺跡の中では、甲骨文字と青銅器で名高い「殷墟(いんきょ)」が多くの人々に知られているが、長江流域にも有名な遺跡があり、湖北省(Hubei)の盤竜城遺跡は商王朝が長江流域の銅資源を確保するための重要拠点だったことが分かっている。今回の発見により、長江下流域に商代末期の鋳銅工房があったことも確認された。専門家は同遺跡で出土した銅錠がどこのものかはまだ分からないとしているが、長江中流域の銅鉱山から運ばれた可能性もあるという。(c)Xinhua News/AFPBB News