植民地主義時代の「人間動物園」 人種差別の歴史たどる展覧会 ベルギー
このニュースをシェア
【12月30日 AFP】欧州各地に19世紀末から20世紀初めにかけて、植民地帝国の「文化的優位性」を誇示する目的で、アフリカの村を再現した遊園地が造られた。
ベルギー・ブリュッセル郊外テルビュレン(Tervuren)で現在、こうした遊園地が人種差別的な固定観念を広める窓口となっていたことを紹介する展覧会が開催されている。会期は来年3月初めまで。
展覧会のタイトルは「人間動物園:植民地主義的展示の時代(Human Zoo: The age of colonial exhibitions)」。会場のアフリカ博物館(AfricaMuseum)は、国王レオポルド2世(King Leopold II)が1897年に三つの「コンゴ村」を造らせた王室所有地にある。
ベルギー領コンゴ(現コンゴ民主共和国)は、レオポルド2世の領有地だった。ブリュッセル万国博覧会では、コンゴ人男女267人が見せ物として強制的に連れて来られ、うち7人が風邪や病気などで死亡した。万博の植民地コーナーには100万人が訪れた。
展覧会では500点の資料や文書で、各国の植民地支配下で先住民がどのような扱いを受けたかをたどっている。
展覧会を企画したアフリカ博物館は、過去の民俗学的展示の狙いは「自分たち以外は原始的であることを示し」、「『白人の優位性』を補強するため『野蛮人』を創り出すこと」にあったと説明する。
「劣った人種」であるという説の裏付けには、頭骨の大きさを数値で表す頭蓋計測も利用された。
アフリカを再現した村やそこに展示された人間の「見本」は、巨人症・低身長症の人やひげの生えた女性らを見せ物にしたサーカスの「フリークショー」の流れをくんでいる。
欧州の「人間動物園」は、1880年代以降に全盛期を迎えた。
ドイツやフランスで造られていた「村」が、ベルギーで初めて造られたのは1885年だった。アントワープ(Antwerp)近郊に、アフリカ人12人が「展示」された。1897年に設置された三つの村では住人の数は20倍となった。
ブリュッセルの最後の「人間動物園」が閉鎖されたのは1958年になってからだ。
展覧会のキュレーターの一人、マールテン・クトニエ(Maarten Couttenier)氏はAFPの取材に対し、長年にわたり同じメッセージが繰り返された結果、アフリカ人は「人食いで、劣っていて、汚く、怠け者」だと市民は思うようになったと説明した。「こうした固定観念は今も存在する。植民地主義者のプロパガンダが成功した証しだ」
「黒人が大好き!」「おや、思ったよりうまくやれたね」「空き部屋はありません」──。展覧会の最後のコーナーでは、お決まりのフレーズが白い壁に大きな文字で書かれいる。来場者は、人種差別的な言葉が今日も日常会話に残っていることに気付くのだ。
展覧会を企画したサロメ・イセバート(Salome Ysebaert)氏は、こうした物言いは一見、無害でありふれたものに思えるが、実際は「マイクロアグレッション(見えにくい小さな差別)」だと指摘。「人間動物園」の閉鎖後60年たった今も、人々の心の中に人種差別が依然存在していることの表れだと話した。(c)AFP/Matthieu DEMEESTERE