【12月16日 Xinhua News】中国陝西省(Shaanxi)の文化財部門は14日、同省西安市(Xi'an)東郊の灞橋(はきょう)区江村で見つかった漢代の大型墓を、継続的調査と周辺の外蔵坑の緊急発掘調査により、前漢の第5代皇帝、文帝の陵墓「覇陵」とほぼ特定したと発表した。

 漢の文帝、劉恒(りゅう・こう、前202~前157年)は、高祖劉邦(りゅう・ほう)の四男で、漢帝国の成立後は代王に封じられたが、高祖の死後に政権を掌握した呂太后の一族が政変で一掃されると、重臣らに招かれ帝位に就いた。22年の治世は、賈誼(か・ぎ)や晁錯(ちょう・そ)らを重用し、年によって田租を免除するなど民力の休養に努めた。次の景帝と合わせた統治期間は「文景の治」とたたえられている。

 陝西省考古研究院と西安市文物保護考古研究院は今世紀に入り、同市東郊に広がる台地、白鹿原の西部地区で大規模な考古学調査を実施してきた。古くから覇陵の所在地と伝わる「鳳凰嘴(ほうおうし)」や竇(とう)皇后陵、生母薄太后の南陵などでも広範囲な考古学調査を行い、覇陵陵区のおおよその範囲や重要遺跡の分布状況、墓葬形式などを確認した。「亜」字型の大型墓も新たに見つかり、所在地の江村にちなみ「江村大墓」と名付けられた。

 江村大墓は封土(盛り土)がなく、墓葬形式は「亜」字型をしている。四方に台形の墓道が延び、墓室の開口部は地表から2・0~4・5メートルに位置する。南北の長さは74・5メートルで、東西は71・5メートル。底部は地表から27~30メートルの深さにある。

 江村大墓の周りでは、100基以上の外蔵坑と陪葬墓が確認された。考古学者らが江村大墓と薄太后南陵で2017年に開始した一部の外蔵坑の緊急発掘調査では、着衣陶俑や陶罐(とうかん)、銅帯鈎(たいこう)、弩機(どき、弩の発射装置)、鉄戟(てつげき)、車馬器などが大量に出土。印章2枚も見つかり、うち1枚は「中司空印」と判別できた。

 白鹿原西部の鳳凰嘴には、明清時代の祭祀(さいし)碑が10基余りあり、ほかにも清の乾隆年間に陝西巡撫(じゅんぶ)を務めた畢沅(ひつ・げん)が銘文を記した石碑に「漢文帝霸陵」の文字があることから、古くから文帝陵墓の所在地とされてきた。考古学者は同エリアでも全面的かつ詳細な調査を実施したが、人工的な建築物や開削の跡は見つからなかったため、鳳凰嘴は自然に形成された黄土丘陵にすぎず、いかなる墓葬も存在しないと判断した。

 今回の発掘作業を担当した陝西省考古研究院の馬永贏(ば・えいえい)研究員は「江村大墓陵区は、高祖の長陵や景帝の陽陵など前漢の帝陵と形状が近く、平面プランも似ていて、全体の規模も同程度だった。明らかな変遷の軌跡もみられた。文献の記載も踏まえ、江村大墓が文帝の覇陵だと判断した」と述べた。(c)Xinhua News/AFPBB News