■100人の難民雇用目指す

 青山氏は幼少期、祖父母から太平洋戦争の話をたびたび聞いたことで、子どもながらに戦争への嫌悪感が強かった。大学時代にはカンボジア内戦の跡地を訪れ、ドキュメンタリー映画を撮影した。元従軍兵と交流した際、「貧しさと相互理解(の欠如)が争いを生んでいる原因なのでは」と、考えた。

 大学卒業後は、「相互理解」をヒントに、外国人留学生と日本人が暮らすシェアハウスの運営に携わった。

 次第に「戦争・紛争の当事者に近いところで事業がしたい。自分の人生を使いたい」という思いが強まり、起業に至った。

 現在、従業員は13人。うち難民認定を待つ従業員は4人だ。

 スタッフのサイラ(Saira)さんは、社内は家族みたいに温かい雰囲気で「外国人としてとても働きやすい」と語った。

 難民申請中の女性は、仕事は好きで「ここで働くことは私にとって好機」と話した。引き取ったパソコンの製品化や輸出業務を担当している。

 別の難民申請中の男性は、パソコンの動作確認や修理を担当。「ぼくはラッキーマンだ」と話した。日本語で悩んだ時も、同僚が助けてくれるという。

 難民認定を待つ従業員の採用は、「今一番心苦しい」ところだと、青山氏は明かす。1人、2人の募集に10人の紹介がある。採用時にパソコン修理のスキルは問わない。働きながら技術を習得してもらう。

「パソコンの販売台数が、会社が迎え入れられる(難民申請中の)従業員数に直結してくる」として、より多くの人に購入してもらえるよう努めたいと語った。

 年商は約1億円。売上高は前年の1.5〜1.6倍に伸びた。難民申請中の従業員の枠も2人から4人まで増やせるようになった。いずれは100人の雇用を目指している。

 日本は難民認定が厳しい。難民申請者がいずれ、「高度人材」としての在留資格を取得して働き続けられるよう、来年5月にはソフトウエア事業も始める予定だ。より高度な技術が求められるプログラミング業務の方が、在留資格を得やすいためだ。個々の能力開発も視野に入れながら、今後20年で先進国だけでなく開発途上国への拠点展開を見据えている。