【12月12日 AFP】スペイン出身選手として初めてウィンブルドン選手権(The Championships Wimbledon)を制し、スペインのテニス強国としての発展に貢献した元男子テニスのマニュエル・サンタナ(Manuel Santana)氏が11日、83歳で死去した。

 スペインメディアの報道では、サンタナ氏は以前からパーキンソン病を患っていて、地中海沿岸のマルベーリャ(Marbella)で暮らしていた。

 スペインの男子選手として、サンタナ氏以外に唯一ウィンブルドンで優勝しているラファエル・ナダル(Rafael Nadal)は、ツイッター(Twitter)で「あなたのこの国に対する貢献と、多くの人に道を切り開いてくれたことに1000回の感謝を。あなたは常に基準であり、友人であり、誰にとっても近しい人間だった。これから寂しくなる」と悼んだ。

 サンタナ氏は1961年と1964年の全仏オープン(French Open)、1965年の全米オープン(US Open Tennis Championships)、そして1966年のウィンブルドンと、四大大会(グランドスラム)を4回制した。

 ウィンブルドン制覇から50年後の2016年には、国内紙ムンド(El Mundo)のインタビューで「自分はアングロサクソンの中に紛れ込んだ邪魔者だった」と振り返っている。

 またウィンブルドン決勝では、地元マドリードを本拠地とするサッカークラブで、自身が応援しているレアル・マドリード(Real Madrid)のシャツを着て優勝した。レアルは公式ウェブサイトに「彼はわれわれのクラブに対する愛情を刺激にし、レアル・マドリードのシャツを着てウィンブルドンを勝ち、この大会を初めて制したスペインのテニス選手となった」とつづった。

 サンタナ氏は1968年のメキシコシティー五輪でも、公開競技として実施されたテニスのシングルスで金メダル、ダブルスで銀メダルを獲得している。(c)AFP