【12月9日 People’s Daily】近年、中国は革新的なエコ製品の価値実現メカニズムを積極的に模索しており、エコツーリズムも新たな発展のきっかけを迎えている。

 飛行機の窓から外を見ると、起伏に富んだ雪山と樹氷に覆われた樹木が並び、蛇行するエルティシ川(Irtysh River)が流れている。ここは新疆ウイグル自治区(Xinjiang Uighur Autonomous Region)アルタイ地区(Altay)富蘊県(Fuyun、コクトカイ)可可托海鎮(Keketuohai、キョクトカイ)だ。

「可可托海へようこそ」と、可可托海国家鉱山公園景勝地のマネジャー譚勝利(Tan Shengli)さんはゲスト説明員として述べた。かつての古い鉱区は景勝地となり、鉱区の人々が観光を頼りとして生活するようになり、譚氏は大いに意気込んでいる。

 可可托海は1930年代に希少金属鉱山によって発展してきた鉱山町(こうざんちょう)で、特に3号鉱脈の鉱物資源は最も豊富だ。しかし、半世紀以上の粗い露天掘りで地表面より200メートル以上高かった山並みは、深さ250メートルにも及ぶ鉱坑に変貌した。

 2013年、富蘊県可可托海鉱区は全国初の独立鉱工業エリア改造移転プロジェクトの試験地区に組み入れられた。同年、現地での本格的な生態修復も始まった。

 数年の間に、鉱工業エリアの洪水防止対策や環境改善、3号鉱脈周辺の地質環境や土石流対策、植生回復などの生態系整備プロジェクトが相次いで完工した。これまでのところ、計10万株余りの各種林木が植えられ、新たに150万平方メートル余りの緑地が形成され、むき出しの山々に再び緑の装いをもたらした。

 そのほか、3号鉱坑、地質陳列館などは適切に保護されている。長年廃棄されていたアイグォズ鉱洞も修復後に観光スポットとして再開放されている。廃屋になっていた古い工場は3号文旅院に改造された。可可托海は古い鉱区を観光の新しい代表としつつある。「今の可可托海は道がまっすぐで、木が立ち並んでいる」、「観光を発展させることで、可可托海人の財布は膨らみ、観光シーズンには、一世帯で3か月に2万〜3万元(約35万〜52万円)の収入がある!」と、譚氏は述べた。

 可可托海幹部学院の4階には、専門の陳列室があり、そこには可可托海の各時代の生産・生活用具が展示されている。これらはすべてバハティベク・カスムハン(Bahtibek Kasimhan)氏が仕事の合間に集めたものだ。

 1990年代に採掘が中止されたため、企業の従業員たちが可可托海を離れた。引っ越しの際に、古い物が残され、バハティベク氏はこのごみの山で「宝探し」を始めた。

 古い品物の収集に加え、バハティベク氏は百人以上のベテラン鉱夫とその家族を訪ね、彼らの物語を発掘し、記録した。可可托海鉱区で中国共産党に加入した最初の少数民族鉱夫、最初のカザフ族旋盤工、最初の国家級模範、彼らの写真はすべて陳列室の中で展示されている。「この国家級模範の方は国慶節(10月1日)の3周年の式典に招待され参加した。これは当時の招待状だ」

 2015年、地質陳列館は新装され、バハティベク氏は100点余りの古い品物を地質陳列館に寄贈し、観光客のために無報酬で説明を始めた。2017年末に幹部学院が設立された後、バハティベク氏は鉱夫授業チームに加わり、残りの品物を陳列室に置き、訓練生に可可托海の物語を語り始めた。「私が行ったすべては、人々が可可托海を永遠に記憶し、可可托海人の奮闘精神を永遠に記憶してくれることを願うことだ」と、バハティベク氏は述べた。(c)People’s Daily/AFPBB News