【12月7日 東方新報】米国が呼び掛けた「民主主義サミット」が今月9日と10日、110の国と地域が参加して、オンラインで開催される。ただし、サミット参加国の中に中国やロシアの名前は無い。これについて、元衆議院議員、元財務副大臣の遠藤乙彦(Otohiko Endo)氏は「中国やロシア等の大国が欠席では、せっかくのサミット開催の意義が損なわれ、大変残念」との思いを口にする。

 遠藤氏は1947年生まれ、69年に外務省入省、以来英国、インド、欧州連合(EU)などの駐在を含め、長年第一線で日本の外交を担った元外交官キャリアだ。同氏は「このサミットは世界にとって望ましい催しである」「『民主』は今や、米国、日本、中国をも含む世界各国が共同で追及すべき価値観だからだ」と言う。しかしまた「今の世界で、中国を単純によそに追いやって何かをなそうとしても、何事もうまくはいかない」という率直な考えを持っている。

 現在の世界情勢においては、国家が関わる戦争発生のリスクが急速に高まっているように見える。

 台湾や南シナ海、ウクライナなどがその可能性がある地域だ。戦争発生を現実的に回避するためには「抑止と対話」のバランスが重要だ。どちらが欠けても戦争が発生する。「抑止無き対話」(第2次世界大戦の勃発)も「対話無き抑止」(第1次世界大戦の勃発)も失敗したことは歴史が証明している。抑止システムを強化するとともに、対立が激化する国家間の対話を深化させることが重要である。

 米国が「中国は民主主義に欠け、参加資格無し」との認識で、今回のサミットの招待国から外したという情報も聞かれる。遠藤氏は「この米国のやり方には安易に同意できない」とし、「世界が民主主義を目標とするのは共通だが、各国が描くいわゆる『民主制度』は必ずしも同一のものとはいえない。いったい何が民主なのか、その標準を一本化してしまう必要があるのか否か、このこと自体が、まずサミットで探求すべきテーマなのではないか。ある一つの国が、自国の標準だけに照らし合わせ、一切のやり方を決めてしまうのでは、その行為自体が一種の『非民主』となりかねない」との見解を示した。

「何が民主なのか」についてオープンな場で徹底的に議論することがまず大事なことではないのか。「人権問題」や「言論の自由」についても俎上(そじょう)にのせてオープンに徹底的に議論することが望ましい。

「どの国の『民主制度』も、その国の歴史、文化、伝統に基づいて形成されるもので、一つの絶対的な『統一モデル』があるわけではない。一つの国の制度が結局良いのか悪いのか、それは究極的に、その国の民衆が日々をつつがなく平和で幸福に暮らしているか否かによって評価されるべきことと言える。また同時に、各国の『民主』はどれもまだ発展の途上にあるという認識を持っておくことが大事」——これは衆議院議員を6期務め、日本の民主主義のより良い形を模索し続けた遠藤氏にとって、切実な実体験を踏まえての認識と言えよう。

「今の世界にとって『民主』は非常に大事、また『平和』はなおさら大事なこと。異なる社会体制の国が、共に平和に向かい共通の発展を目指すことこそが、最も重要なことだ」、同氏はこのように指摘する。(c)東方新報/AFPBB News