【12月1日 AFP】米国出身の仏ダンサー・歌手で、第2次世界大戦(World War II)中のレジスタンス(抵抗運動)への参加や権利擁護活動でも知られる故ジョセフィン・ベイカー(Josephine Baker)さんが11月30日、死後約半世紀を経て、パリの霊廟(れいびょう)「パンテオン(Pantheon)」に黒人女性として初めて祭られた。

 パンテオンは、文豪のビクトル・ユゴー(Victor Hugo)やエミール・ゾラ(Emile Zola)、物理学者・科学者のマリー・キュリー(Marie Curie)といったフランスの偉人を祭る非宗教的な殿堂。ベイカーさんは芸能人としては初、女性としては6人目の同殿堂入りとなった。

 これを記念して、前日の29日夜には米ニューヨークのエンパイアステートビル(Empire State Building)がフランスの三色旗の色にライトアップされた。

 1975年4月12日、脳出血のため68歳で死去したベイカーさんの遺体は、モナコに埋葬されている。30日の式典では、出生地である米セントルイス(St. Louis)、パリ、居住地だった仏南西部のミランド城(Chateau des Milandes)、そしてモナコのベイカーさんゆかりの場所4か所の土を入れたひつぎが、パンテオンの地下に安置された。

 ベイカーさんは1906年、米ミズーリ州の貧困家庭に生まれた。当時の多くの米黒人芸術家と同様、人種差別から逃れるためにフランスに渡った。「黒いビーナス」と呼ばれ、ジャズ・エイジ(Jazz Age)の活気あふれる踊りでパリを席巻した。

 第2次大戦が始まると、ナチス・ドイツ(Nazi)に対するレジスタンスに参加し、仏空軍の女性予備部隊の中尉となった。また、国外に逃れたシャルル・ドゴール(Charles de Gaulle)将軍(後の仏大統領)のスパイとなり、イタリアの指導者ベニト・ムソリーニ(Benito Mussolini)の情報を入手。見えないインクを使って楽譜に情報を記し、英ロンドンに送っていた。

 差別との闘いにも注力。ドルドーニュ(Dordogne)地方の城で異なる民族の子ども12人を養子に迎え、「虹」の家族を築いて暮らした。(c)AFP/Clare BYRNE