【11月16日 People’s Daily】11月3日、中国国家科学技術奨励会議が北京市の人民大会堂で行われ、中国航空工業集団有限公司の顧誦芬(Gu Songfen)氏が国家最高科学技術賞に選ばれた。

 顧氏は1930年、江蘇省(Jiangsu)蘇州市(Suzhou)出身。1951年に大学を卒業し、航空工業局に入局した。1956年、中国初の航空機設計機関となる瀋陽飛機設計室が遼寧省(Liaoning)瀋陽市(Shenyang)に誕生し、顧氏は空力学研究チームの責任者となった。最初に取り組んだのは、中国初のジェット機「殲教1(JJ-1)」の設計だった。大学ではプロペラ機について学び、ジェット機は詳しくないため昼夜を問わず研究した。

 北京市の図書館に関連資料があると聞けば瀋陽から駆けつけた。学生たちの邪魔にならないよう、夜な夜な図書館に通っては資料に目を通し、必要な情報を探した。その結果、亜音速機の空力パラメーター設計基準と空力特性の工程計算方法を導き出し、殲教1の設計を完成させた。

 顧氏はその後、中国初の初等練習機「初教6(CJ-6)」の設計を行い、亜音速機の空力設計システムを確立。顧氏は歩みを止めず、超音速機の設計研究を手がける。彼が構築した空力設計システムは、今も中国の航空機設計者にとって重要な参考資料となっている。

 1964年、中国は初の独自設計となる高速戦闘機「殲8(J-8)」の開発に着手した。顧氏は副総設計士となり、その後の研究開発を全面的に担った。1980年には「殲8Ⅱ」の開発が始まり、その性能は殲8をはるかに上回った。顧氏はその総設計士に任命され、航空業界では初めて国から任命を受けた。彼のリーダーシップの下、100チーム以上が効率的に連携し、わずか4年で初飛行を達成した。

「私の最大の願いは、ずっと航空業界に携わること」と話す顧氏は1986年、北京に移り、航空工業科学技術委員会に勤務。国家重要プロジェクトの決定に参画し、航空機器のシステム構築や国防事業全体についてアドバイスをしてきた。国産旅客機「C919」や「ARJ21」、戦闘機「殲10(J-10)」、大型輸送機「運20(Y-20)」など多くの開発プロジェクトで技術顧問や研究チームの責任者などを務め、水上機の開発も推進している。

 年を重ねても、顧氏の心は今も空に向いている。病のため手術も経験したが、それでも会社に出勤している。10分程度の道のりが最近はずいぶん時間がかかるようになったが、いつも時間通りに古びた木製のいすに座り、仕事にいそしんでいる。顧氏は「航空業界の進展を知ることが私の老後の楽しみになっています。本を読み、資料を翻訳し、少しでも若い世代の人たちの力になりたい」と話している。(c)People’s Daily/AFPBB News