【11月8日 Xinhua News】中国内モンゴル自治区(Inner Mongolia Autonomous Region)文物考古研究院はこのほど、同自治区ホリンゴル県で漢代の墓31基を発掘したと発表した。墓の形状や出土した陶器と貨幣から、年代は前漢中期から後漢初期の約200年と推測している。

 墓は同県の小紅城古城から北西約1キロの台地で見つかった。西に約2キロ離れた明代の大紅城古城の周辺では、これまでに漢代の遺物が多数散在しているのが確認されていることから、同研究院の専門家は、明代の大紅城古城の下に漢代の都市があるのではないかとみている。

 今回発掘された墓は、密集しているものの形状はさまざまで、竪穴式土坑墓、土洞墓(どどうぼ)、磚壁墓(せんへきぼ、壁面がレンガ造りの墓)、磚室墓(せんしつぼ、レンガで築いた墓)などがあり、いずれも中小規模の単室墓だった。出土した副葬品は、土器・陶器や施釉陶器、銅器、鉄器、石器、木器、貝殻など200点余りに上った。

 墓の一つからは、手足を真っすぐに伸ばしてあおむけに埋葬された夫婦が見つかったが、保存状態は良くなかった。女性の遺骨の腰部には、四乳四螭紋(四つの「乳<ち>」と呼ばれる突起物と、四つの想像上の動物「螭<みずち>」の姿)を施した小さな銅鏡が置かれていた。墓室の手前には、保存状態の良い灰色の陶器がいくつかあり、一部の陶罐(陶製の貯蔵容器)には種が入っていた。死後も生前と同じ生活を送ると考えていた漢代の人々が、農耕と生活の希望を墓に持ち込んでいたことを示している。

 内モンゴル師範大学歴史文化学院考古文博学科の教員、李珍(Li Zhen)さんは、陶器の組み合わせと漆器の普及が小紅城漢墓の最大の特徴だと説明。漆器の多くは木の素地の損傷が激しく持ち出せなかったが、発掘過程で一連の貴重な画像資料を残しており、出土した陶器も量や種類の多さ、保存状態の良さから、当時の同地域での副葬陶器の埋葬状況をよく反映していると語った。(c)Xinhua News/AFPBB News