■プレッシャーは感じなかった

 招致から携わり、競泳チーム主将で臨んだパラリンピック東京大会。鈴木選手は「自国開催というプレッシャーはなかった」と、淡々と語る。

 新型コロナウイルスの感染拡大で東京大会の延期が決まった時は、調子も上がって良い状態だったと振り返る。だが、「深く考えずに1年練習しようという感じでやっていた」とさらり。「大会直前の練習は一番ハード。それをもう1年続けると、考える方が心が折れてくる」とし、先のことを考えないようにしたと明かす。

 パラ出場も5回目となった。国民の関心は出場を重ねるごとに高まっていると感じている。今大会は報道も増え、レースの生放送やクラス分けの解説もあった。

「全く今まで見たことがなかった人も基本的な知識を学びながらレースが見られたので、よりパラリンピックの面白さが伝わったのでは」と話した。

 鈴木選手はパラリンピックの一層の発展のためには、障害者スポーツができる施設の拡充と周知が必要だと考えている。次世代選手の発掘プログラムの継続・発展にも関わりながら、パラスポーツに興味を持った人々に今後も競技を見てもらえるよう努力したいと語った。

■パリ大会には含み

 2013年に英国に留学した。トレーニング環境に変化をつけることが目的だった。1年間の予定だったが、ノーザンブリア大学(Northumbria University)からのオファーを機に、活動拠点となった。

 スポーツマネジメントを学び、現在は博士課程に在籍中だ。日本の水泳選手とパラ水泳選手の経済状況の違い、その背景についての研究に取り組んでいる。

 日常生活では車椅子を使用する。言葉の壁のため当初は不便なことが多かったが、人々の過不足のない手助けがうれしかったと話す。英国ではロンドン大会を契機に、全国的にバリアフリー化が進んだという。

 年末までは、日本の会員制のプールでトレーニングを行っている。

 11月20日からは日本選手権が始まる。来年の世界選手権やアジア大会も見据え、トレーニングを積む予定だ。

 2024年のパラリンピックのパリ大会を目指すかは未定だ。「また熱が出てきたりしたらパリを目指すことはあるかもしれませんし、どうなるかわからないと思います」と含みを持たせた。(c)AFPBB News/Marie SAKONJU