■「苦情を訴えても大変な目に遭うだけ」

 この問題は、長年議論を呼んできた。

 2012年、当時のブディオノ(Boediono)副大統領(インドネシアに多い1語のみの名前)が礼拝を呼び掛けるスピーカーの音量を制限する考えを示し、非難を浴びた。

 2016年には、北スマトラ(North Sumatra)州タンジュンバライ(Tanjung Balai)市で十数か所の仏教寺院が大勢の抗議デモ参加者に放火される騒動が起きた。中国系インドネシア人の仏教徒、メイリアナ(Meiliana)さん(名前は1語)が、モスクのアザーンの音量がうるさいと苦情を入れたことがきっかけだった。

 4人の子どもがいるメイリアナさんは、2018年に禁錮1年6月の判決を受けた。

 インドネシア人がこうした苦情によく憤慨するのは、モスクのスピーカー放送は文化的な表現の一つというより、宗教上欠かせないものだと誤解しているからだ。こう説明するのは、ジャカルタのシャリフ・ヒダーヤットゥラ国立イスラム大学(Syarif Hidayatullah State Islamic University)のアリ・ムンハニフ(Ali Munhanif)教授(政治学)だ。

「こうした問題は、技術の進歩と過剰な宗教的表現がぶつかると起きる。礼拝の呼び掛けが何の規制も受けないと、社会の和が乱されかねない」と語った。

 リナさんは、かたくなに苦情を訴えようとしない。

「あの(収監された仏教徒、メイリアナさんの)件で分かりました。苦情を訴えても大変な目に遭うだけ」と言って譲らなかった。「このまま我慢するしかありません。もしくは、家を売るかです」 (c)AFP/Haeril HALIM