【10月23日 AFP】ブラジルのサンパウロ(Sao Paulo)で30年間、墓掘りを続けてきたオズマイール・カンディド(Osmair Candido)さんにとって、新型コロナウイルスの大流行は悪夢以上の出来事だった。だが、古くからの友人に助けられたおかげで、試練を乗り越えることができた。友人とは、セーレン・キルケゴール(Soren Kierkegaard)やイマヌエル・カント(Immanuel Kant)、フリードリヒ・ニーチェ(Friedrich Nietzsche)だ。

 60歳を過ぎた黒人系のカンディドさんは、仕事柄、一日のうちのほとんどの時間をサンパウロの小さな共同墓地で過ごしているが、文学者、哲学者の顔も持ち合わせている。

 コロナ禍の最中は、多くの死に胸を痛め、涙することもあったが、同僚が心労と疲労で次々に倒れ、精神科病院で治療を受ける中、哲学のおかげで正気を保っていられたという。

 埋葬は、以前は週に1回程度だったが、感染拡大のピーク時には「多い時で一日に18回」になった。カンディドさんは、その頃の光景を「神曲(Divine Comedy)」で有名なイタリア文学の巨匠ダンテ・アリギエーリ(Dante Alighieri)が描いた場面に例えた。

 キルケゴール、カント、マルティン・ハイデッガー(Martin Heidegger)、ゲオルク・ビルヘルム・フリードリヒ・ヘーゲル(Georg Wilhelm Friedrich Hegel)、ドゥニ・ディドロ(Denis Diderot)といった哲学者の助けで、「死を受け入れる」ことができるようになったと話す。

 しかし、最も困難な時に大きな助けになったのは、ドイツの哲学者ニーチェや古代ギリシャ人の思想だったという。

 毎朝、家を出てペーニャ共同墓地(Penha Cemetery)に向かう際には、戻って来る時は「自分が生きているのか死んでいるのか、感染しているのかいないか」分からなかった。

 毎晩、「シャワーを1回、2回、3回、時には4回」浴びた。

 半年前は、霊きゅう車が列をなして墓地にやって来て、埋葬の順番を待つひつぎが100から200個も積み上げられていた。

「危険を承知でひつぎに触りたがる人は誰もいませんでした」とカンディドさんは話す。自身はこれまで新型コロナには感染したことがないと続けた。

 一番ひどい経験をしたのは、10代の少年の埋葬の時だった。「塀の向こうから女性の叫び声が聞こえました。その声は、女性の息子の遺体の所まで届きました」。それから女性は、埋葬されないようにひつぎをつかんで離さなかったという。