■替え玉事件

 知的障害のある選手がパラリンピックに受け入れられたのは、1996年のアトランタ大会からと比較的最近だ。しかもそのすぐ後には、パラリンピックを根底から揺るがすスキャンダルが起こった。2000年シドニー大会、バスケットボール男子の知的障害のクラスで金メダルを獲得したスペイン代表のメンバーに、健常の選手が交じっていたことが発覚したのだ。

 この事件によって、選手をテストして分類するシステムの信頼性は大きく崩れ、国際パラリンピック委員会(IPC)はすべてのスポーツで知的障害のクラスを暫定的に廃止した。この措置は2004年のアテネ大会と2008年の北京大会でも適用され、IPCがシステムをようやく刷新したのは2009年のことだった。

 これで、2012年のロンドン大会ではようやく知的障害のある選手がパラリンピックに戻ってくることができたが、出場可能な競技は現在と同じ陸上と競泳、卓球の三つだけで、クラスも種目ごとに一つしかなかった。東京パラリンピックでも、大会全体で争われた539個の金メダルのうち、知的障害のクラスは3競技の計21個で、選手の数も全体の4400人に対してわずか120人だった。

 それでもIPCは、ロンドン五輪から種目数は5割増になったと指摘し、「パラリンピックで、これほど短期間にここまで種目数が増えた障害のクラスは他にない」と話している。