■生存者や遺族との友情

 それから地上に着くまでの50分間に、階段を駆け上る消防士や救助隊員と何人もすれ違った。彼らのことを語るとき、ディトマーさんには涙がこみ上げてくる。

「彼らの目は、上に行けば帰ってこられないと語っていました。どうすればそんなに勇敢に、強くなれるのでしょうか」と、問いかける。

 15階では、警備員が人々に避難を呼び掛けながら、メガホン越しに「ゴッド・ブレス・アメリカ(God Bless America)」を歌っていた。

「下手な歌でしたが、彼の意図は分かりました」とディトマーさん。豪華客船タイタニック(Titanic)号が沈没したとき、船長が乗客を落ち着かせて救命ボートに誘導するため、楽士たちに演奏を続けさせたのと同じことだった。

 南棟が崩壊した瞬間、ディトマーさんはビルを出て少し離れた場所にいた。目撃した何千人もが上げた恐怖の悲鳴は、今でも毎日耳によみがえると言う。

 手首に「911」のタトゥーを彫り、襟元にツインタワーのピンバッジを着けたディトマーさんは、現在64歳。全米の学校など各地で何百回も体験談を語ってきた。

 記憶や感情を他の人々と共有することで、悪夢や心的外傷後ストレス障害(PTSD)、さらには生き残ったことに対して抱く罪悪感を回避してきた。「これが自分の治療法です」と語った。

 ディトマーさんは、他の生還者や犠牲者の家族らと友情を築いてきた。「誰かの連れ合いを90階で見かけていて、そのときの話ができれば、その人をしのぶことができます」と語る。

 現在も東部デラウェア州で保険業を続けるディトマーさんは、ニューヨークっ子が好きになったと言い、新型コロナウイルスの流行は彼らが持つ立ち直る力を再び証明したと語った。

「一時はゴーストタウンのようになりましたが、今では大勢の姿があります。この街が『われわれは何にも負けない』と言ったからです」

 糖尿病を患うディトマーさんも新型コロナウイルスに負けなかった。健康な食事を始め、1日に5キロ歩き、体重を約20キロ落とした。

「911と同じように、この流行も自分が良い方向に変わるきっかけになりました」とディトマーさん。「もっと良くならないと。今は、ジョー(ディトマーさんの愛称)の物語、第2話なんです」と言って笑った。(c)AFP/Catherine TRIOMPHE