■撮らないと「無かったことになってしまう」

 ティグレ脱出の直後に一時帰国した千葉氏は、オリンピック開催中の東京のみならず、広島や札幌などを回った。ファインダーをのぞく時の心構えは、日本でも変わらない。

「何か気付いていないんじゃないか、ということにはいつも気を付けています。自分が気付かなかったら、その場のイメージは無いわけなので」と語る。

 東日本大震災の被災地では「撮らせていただいた」と振り返る。災害や悲しい現場では特に、人に声をかけたくはない。だが、撮らないのは無視をすることだ。

 アフリカでは、事件の被害者側から撮影を頼まれることもあると言う。「記録してくれる人がいないことで、何かがあった時に、それが無かったことになってしまう。(被害が)無視されないというために自分たちの存在はあるのではないか」と思うようになった。

 記録は報道写真に限らない。交流のあるケニアのマサイ(Maasai)の人々とは、10年以上にわたりコミュニティーの記録としての撮影を続けている。これらは公開できるかわからないが、将来的には本にして贈りたいという。

 取材に行く際は、いつも不安と自分への期待が入り交じる。行動するのは、好奇心と「カメラに背中を押されている」からだと話す。将来的には多様な日本を撮影していきたいとして、「最終的には勝負するところは日本」と語った。(c)AFPBB News/Marie SAKONJU