新疆の自動車修理店の店主が見た中国の田舎の変遷
このニュースをシェア
【8月16日 People’s Daily】午後の日差しはちょうど良かった。41歳のトゥマンバイ・ヨルダシ(Tumanbay Yoldash)さんが民謡を口ずさみながらトラックのタイヤを交換している。これはその日の4件目の注文だ。
数年前、彼は中国新疆ウイグル自治区(Xinjiang Uighur Autonomous Region)クズルス・キルギス自治州ウルグチャト県(Ulughchat)ウルグチャト郷で唯一の自動車修理店の経営者だった。トゥマンバイさんはここ数年、故郷の変化を身をもって経験し、皆の生活の変遷も見ている。かつて牧畜民の主な交通手段は馬とラクダであり、至る所がでこぼこした砂利道だった。今では、多くの人が自家用車に乗り、高速道路が郷まで整備され、収入が増え、広々とした安居房(低所得者向けの分譲住宅)に移り住み、暮らしはますます豊かになっている。
トゥマンバイさん一家は代々放牧を営んでおり、引っ越しの際には馬とラクダが主な乗り物となっていた。「人は馬やラクダに乗り、牛や羊を追い回す。2つの牧草地は60キロ以上も離れていて、冷たい水を飲んでナンを食べるしかなかった」と話した。運が悪く雨が降ったり、何か突発的なことがあると、よく野外で寝泊まりするはめになっていた。
牧畜民が病気になったり、急用があって県城(県人民政府の所在地)に行く場合、馬に乗る以外は大型トラックの空席がある時に乗るしかなかった。「おじいさんが病気の時、馬に乗れなくて、4、5日待っても空き席がなく、結局鉱石を積んだ車に乗って県城の医者に会いに行った。4、5時間乗って、降りた時は埃(ほこり)だらけでした」と、トゥマンバイさんは述べた。
2010年頃から、牧畜民たちの生活が変わり始めた。「先にバイクに乗る人がでてきて、その後ピックアップトラックや軽乗用車を買う人が増えた」。この変化の中で、トゥマンバイさんは、車があれば修理の需要があるというビジネスチャンスを見いだした。そこで、出稼ぎで覚えた腕を頼りに、郷政府の近くで自動車修理店を開いた。
店を始めた頃は、「砂利道だったから運転しにくかったし、タイヤの摩耗もひどかった」ので、タイヤの修理が多かった。それでも車はそれほど多くなかったので、トゥマンバイさんの収入は月に最大で2000元(約3万4000円)程度だった。店の前は未舗装の道路で、雨が降ると泥だらけになり、修理中にジャッキが泥にはまるのはしょっちゅうだった。
さらに大きな変化は、2015年ごろから高速道路が郷まで延び続け、自動車修理店の前のでこぼこした砂利道も平たんなアスファルト道路に変わったことだった。店はウルグチャト県から中国最西端のイルケシュタム峠への通過点に位置し、次第に密集してきた通商車両は、店に多くの商売をもたらした。
「今では車の修理だけで月に5000元(約8万4000円)以上はもうかるが、7、8月になれば、ここに旅行に来る車が増え、もっと繁盛する」と、トゥマンバイさんは言った。
「家の家畜は他の人に任せ、私は自動車店をやっているほか内装もやっていて、合わせて年に十数万元の収入がある。今は子供たちは二人とも学校に通っていて、生活はますますよくなっている」。トゥマンバイさんは2年前に新車を買い替えたばかりだ。「娘が県城にある全寮制の中学校に通っているので、よく車で会いに行く。わずか1時間で着く」と、彼は語った。
トゥマンバイさんだけでなく、ウルグチャト郷の牧畜民の生活も変化している。牧畜民の収入は品種改良によって増え続けている。ここ数年、牧畜民は富民安居事業によって移住し、広々とした明るい安居房に定住するようになった。四季を問わず水草を追いかけて暮らすのを嫌がる牧畜民たちが「連牧」を始め、数世帯が一つの放牧「連盟」をつくり交代で放牧し、手が空いた人は出稼ぎなどで収入を増やすことができる。(c)People’s Daily/AFPBB News