【8月16日 People’s Daily】中華民族は古くから海洋文明を発展させてきた。それを今に伝える「証言者」、中国福建省(Fujian)泉州市(Quanzhou)の遺跡群が「泉州 宋朝・元朝における世界の海洋貿易センター」として、国連教育科学文化機関(UNESCO、ユネスコ)の世界遺産に登録され、中国で56か所目の世界遺産となった。

 ユネスコは登録の理由として「宋・元時代の泉州は独自の傑出した港湾都市を築き上げた。22か所の遺跡群は当時の社会構造、行政制度、交通・生産・貿易システムなど多様な要素を網羅している」と説明。「10~14世紀の泉州は東アジア、東南アジアの貿易ネットワークの海上拠点として繁栄し、国際的な経済と文化の発展に大いに貢献した」と評価している。

 刺桐(デイゴ)が多く生い茂り、「刺桐城」と呼ばれていた泉州は1300年以上の歴史を誇る。中でも宋・元時代は「世界中の商人の声が響き渡る」と言われるほどの栄華を極め、マラッカ海峡、インド洋、ペルシャ湾から商船が続々と訪れた。

 イタリアの冒険家マルコ・ポーロ(Marco Polo)は「東方見聞録」で「市場には山のような香料、宝石、貴重な木材、金銀の装飾品などがあふれている。地中海の香料の中心地・アレクサンドリア港でさえ、泉州港の取引量の10分の1にも及ばない」とつづっている。明朝の鄭和(Zheng He)が1405~1433年、当時の世界最大級の船団で行った大遠征も泉州を拠点としており、泉州の霊山には航海の安全を祈願した石碑「鄭和行香碑」が残っている。

 当時の泉州には東南アジア、ペルシャ、アラビア、インド、セイロンそして地中海からの使者や商人が住んでいた。道教の海神・媽祖(まそ)をまつった天后宮、仏教の開元寺、イスラム教のモスク・清浄寺、ヒンズー教の番佛寺、さらにペルシャ由来のマニ教寺院、シリアをルーツとする景教(キリスト教ネストリウス派)寺院、地中海世界で広まったキリスト教の教会…。多くの宗教施設が残る泉州が「世界の宗教博物館」といわれるゆえんだ。

 海洋文明の窓口として泉州が世界の航海史に大きな影響を与えたことは、数多くの難破船の水中調査からも分かっている。1973年に発見された難破船は、1277年ごろに製造されたもので、中国で最も初期の福建省型大型船だ。流線形のデザインや水密性の高い構造は中国古代の造船技術の中でも傑出している。この水密区画の技術は世界の航海において重大な役割を果たし、貿易船が積み荷を満載にすることができた。乳香(香料となる樹脂)、香木の沈香、檀香、蘇木、コショウ、香料の龍涎香などの貿易は、当時の海洋ネットワークの広がりを象徴している。

 陸のシルクロードにおける敦煌(Dunhuang)のように、泉州は海のシルクロードの伝説を今に伝える。お茶や香料、磁器、絹製品などを一手に集めて大海に運び出した港は、ヨーロッパの大航海時代や新大陸到達以前から世界を結びつけていた。ユネスコの諮問機関・国際記念物遺跡会議(ICOMOS)は、泉州港の遺跡群を「全人類にとって突出した価値を持つ」とたたえている。(c)People’s Daily/AFPBB News