【8月23日 AFP】ケニアのパラボート女子選手、アシヤ・モハメド(Asiya Mohammed)はまだ2歳の頃、自宅近くの線路を渡っているときに電車にひかれ、両脚と手の指を何本か失う大事故に遭った。その7年後には孤児になった。

 それでもそうした逆境に負けず、モハメドはいくつものタイトルを獲得するパラアスリートとなった。さらには東京パラリンピックの予選を通過し、ケニアの女子ボート選手として初めて、パラリンピックに出場することになった。

 だが親戚に育てられた29歳は、5年前に体重が増え始めるまでは、スポーツに価値を見いだしていなかったという。モハメドは「体重が70キロもあって、それをすごく心配した近しい家族から、ダイエットと体形維持のためにスポーツを始めたらどうかと言われた」と話した。

 そして、モハメドが暮らす東海岸の街モンバサ(Mombasa)で当時挑戦できたのが、車いすテニスとバドミントン、ボートだった。モハメドはそのすべてだけでなく、車いすマラソンでも多数のメダルを獲得。やがて、最初は練習と並行して続けていた教師の仕事も辞めてボートに集中するようになり、東京パラリンピックではPR1(腕と肩の力だけでこぐクラス)女子シングルスカルに出場する。

「和気あいあいとした雰囲気のあるボートに一番魅力を感じていたから、東京大会の予選を突破するまでこのスポーツをやろうと心に決めた」

「教師の仕事はすっぱり辞めることをすぐに決断し、ボートを中心としたスポーツに全力を注ぐことにした」