■「傷心と悔しさ」

 その後の2019年5月、モハメドはイタリアで行われたパラボートのシーズン開幕戦「ガビラーテ・レガッタ」の出場権を獲得し、自身初となる国際大会を経験すると、同10月にチュニジアのチュニスで行われたアフリカ選手権では、PR1女子シングルスカルで出場8人中の1位になり、パラリンピックの切符を勝ち取った。

 しかし、その道のりは順風満帆ではなく、女子パラアスリートとして多くの悔しさも味わった。母国の統括団体から資金と支援を得られず、アフリカ選手権では、ケニアボート・カヌー連盟(KRCF)に大会に必要な用具一式の提供を頼んだものの実現しなかったため、健常の男子選手から借りなくてはならなかった。

「KRCFとケニアパラリンピック委員会(KNPC)の両方から、お金がないから予選に出場するボート選手の支援はできないと言われたときは、すごく傷ついたし悔しかった。男子選手は、ケニアオリンピック委員会(NOCK)から全面的な資金援助を受けていたのに」

 結局、家族と友人の助けも借りながらチュニジアへの渡航費を工面しなければならなかったが、モハメドはケニア選手でただ一人ボートでのパラリンピック出場を決め、その恩返しをした。

 モハメドは「大会後に国際ボート連盟(World Rowing)から、練習用とパラリンピック用にボートを2艇贈るという話があったけど、まだ届いていない」と話しながらも、そうした問題を振り払う決意を固めている。

「最下位で終わりたくはない。非常に現実的に考えている」と話すモハメドだが、できれば決勝の6人に残ってメダル争いがしたいと考えている。

「メダルを取るまでボートを続けたい」 (c)AFP/Ailéen KIMUTAI