■無人地帯

 何キロにもわたって張り巡らされた有刺鉄線は、少しずつコンクリート壁に取って代わられていき、その壁は43キロにわたって街を南北に二分した。

 さらにその外側には全長112キロの壁が造られ、飛び地の西ベルリンと200万人の住民は、周囲の東ドイツとも切り離された。

 壁は崩壊するまでの28年間、絶えず強化された。高さ3.6メートルの鉄筋コンクリート製の壁は上部が円筒形でつかみにくくなっていて、よじ登ることはほぼ不可能だった。このような壁が100キロ以上にわたり続いていた。

 また壁の東側に沿って無人地帯が設けられた。

 二重になった壁の間には、踏むと足跡が残るよう地面が丁寧にならされた「デスストリップ」と呼ばれる無人地帯が設けられていた。ここでは銃撃されたり、仕掛けられた地雷を踏んだりする危険性があった。

 東ドイツの当局に「反ファシスト防護壁」と呼ばれ、一般的には「恥辱の壁」と呼ばれるようになった壁は、どんなに難攻不落に見えても脱出者を防げなかった。ベルリンの壁が崩壊した1989年11月9日までに5000人近い市民が脱出し、約100人がその途中で命を落とした。(c)AFP