【8月11日 People’s Daily】チベット自治区(Tibet Autonomous Region)の燦爛(さんらん)たる太陽の下を、緑の「復興号」高速列車が駆け抜けていく。遠くからは緑の長い竜のように見え、険しい山々を越えていく。今ではこの列車は雪の高原を1か月も走っていた。

 ラサ(Lhasa)・ニンティ(Nyingchi)鉄道は6月25日に正式に開通し、チベット南東地区の鉄道不通の歴史に終止符を打ち、「復興号」高速列車による中国の31の省区市の完全なカバーが正式に実現した。7月22日の時点で、同鉄道による旅客輸送数はのべ9万5000人にのぼった。大衆の移動を便利にし、就職・創業、そして、産業の発展を促進した。今、同鉄道が沿線地域にもたらした活気が徐々に表れてきた。

「最近、高原の高速列車を体験したいという人にたくさん会った」。ラサ駅の駅員のヤンゾンさんは、「ラサ・ニンティ鉄道が開通してから、多くの人がその名を慕ってやってきて、ニンティへ旅行に行く人が日増しに増えている」と語った。

「私はニンティ市メンリン県(Mainling)出身で、十数年前の中学時代、実家からラサに行くためには、まず車でニンティまで行き、不定期にラサに行く車に乗る必要があった。早くても3、4日、遅かったら6、7日もかかった」。「今は、ラサまで片道わずか3時間ちょっとだから、ずっと速いよ」と、ヤンゾンさんは言った。

 ラサ・ニンティ鉄道が開通・運営して以来、客の流れは観光、親戚訪問、学生を主としている。同鉄道のもたらした便利な交通の恩恵を受け、より多くの沿線の人々はこの路線を選んで移動するようになった。

 開通して1か月、ニンティ市ナン県(Nang)出身のローザンタンゾウさんはすでに何度もラサ・ニンティ鉄道に乗って移動した。「便利だよ、楽だよ」と、1995年生まれの彼は感慨深く語った。

 ローザンタンゾウさんは子どもの頃初めてラサに行った時のことを今でも覚えている。「あの時、ナン県からラサに行くには、高い山を越えないといけなかったが、突然の大雪で車が全部山に塞がれてしまい、私は軽トラックの荷台に乗って寒さに震えていた」と、彼は述べた。

 大学卒業後、ローザンタンゾウさんは帰郷して起業し、人材派遣会社を立ち上げた。しかし人材派遣会社を経営するには、労働力の輸送力不足が最大の難点だ。また、安全も考慮しなければならない問題だ。ナン県からニンティまではとても長い山道があり、車が同郷の人々を連れてニンティへ行くたびに、彼はいつも落ち着かず、何度も電話をかけ状況を聞いていた。

「今は鉄道が通っているので、会社の状況は大きく改善した。県からニンティまでは駅で送迎するだけで済むので、コストも下がり、安全性も向上した」と、ローザンタンゾウさんは語った。

 ラサ・ニンティ鉄道沿線地域では、ローザンタンゾウさんのような物語が続いている。「鉄道が新しいチャンスをもたらしてくれた!」「人の移動により、ニンティなどの地域の人気はますます高まっている。私はニンティでホテルを開きたい、新しいチャンスをしっかり上手に使わないと」と、ローザンタンゾウさんは言った。

「ラサ・ニンティ鉄道の開通は、ニンティの観光業態をさらに豊かにした」と、ニンティ市観光発展局の張潤東(Zhang Rundong)副局長は述べた。紹介によると、現在、ニンティは地元のレンタカーとモビリティサービス企業を大いに導入し、自分で列車に乗ってニンティに来た個人客が地元でより良い旅行サービスを享受できるようにしているという。(c)People’s Daily/AFPBB News