■バッハ会長を「誰?」

 また、表彰式の前に話しかけてきた人物が、国際オリンピック委員会(IOC)のトーマス・バッハ(Thomas Bach)会長であることに気づかなかったようで、インタビューでは「すみませんけど、誰のこと?」と口にしている。

 わずか1年ほど前の練習中に手首と手、頭蓋骨を折る大けがをしたブラウンにとって、今回の五輪は復活の舞台だった。新型コロナウイルスのパンデミック(世界的な大流行)で五輪が1年延期になっていなければ、そのけがで当時11歳の彼女は五輪出場の夢を絶たれていたはずだった。

 ブラウンは、「本当に滑れるのか分からなかった。両親には、『スケートはもうやめて、何か別のことをしなさい』と言われた」と話し、五輪に出られるか分からない時期があったことを認めながらも、「だけどここへ来られて本当に良かった。あの事故のおかげで強くなれたと心から思う」と話した。

 すでにブラウンは、スケボーだけでなくサーフィンでも出場を目指す2024年パリ五輪に目を向けている。サーフィンに出場するには、競技がパリから1万5000キロ以上も離れたタヒチ(Tahiti)島で行われるという難しさがあるが、それでもブラウンは「可能性があれば。だけど本気で両方出たいと思っている。もちろんサーフィン(での出場)に挑戦していく」と話している。

「若い女の子たちの刺激になりたい。若すぎるから何かができないなんていうことはなくて、自分を信じれば何でもできると思っている」

「スケボーは誰でもできる。身長も年も関係なくて、やりたい気持ちがあればいつだって始められる。必要なのは滑って、頑張り続けることだけ」 (c)AFP