【8月4日 AFP】オーバーサイズのTシャツにローライズパンツ、頭にはフラットピークのベースボールキャップ。大内龍成(Ryusei Ouchi)さん(21)のいでたちは、典型的なスケートボーダーだ。そして、自在にボードを操る彼の手にはしっかりつえが握られている。

 網膜色素変性症という進行性の病気のために、大内さんの視野は95%が失われている。だからといって、スケートボードをやめはしない。スケートボードが東京で五輪に初登場し、彼の熱意はいっそう高まった。

 大内さんのローカルスポットは、埼玉県所沢市のスケートパークだ。ここでためらうことなく数々のトリック(技)を繰り出す。時にボードを置くと、白杖(はくじょう)を前に出し、左右に振って進みながら障害物を探る。

「普通の人だったら、見ればああこういう感じかってイメージがつくけれど、俺の場合はやらないと分からないし。触ったり、乗ってみたり」

 中学3年生の時に友人からボードを借りて、スケートボードを始めた。「一緒にやろうぜみたいに誘われて、スケボーに初めて乗って、そこでまあ、はまったっていうところですかね」とAFPに語った。

 転倒やけがが付き物のスポーツだ。まして視覚障害者にとってはたやすくない。

「やっぱり見えない分、自分は(けがが)多かったですね」と大内さん。「というのは、物があるのが見えなくて突っ込んじゃって、それでぶつけて、けがするとか…」

■「最高の気持ち」

 安全を確保するため、スタート前には念入りにコースを調べる。「どこに何があるのかっていうのは、基本的にどれだけ慣れているパークでも一回歩いて確認します」

 その時のパークの状況を「必要なときは手で触って確認したり、足でもって確認する。で、設計をまず頭の中で覚えるんです」。  

「完全に自分がやりたいことだけを、ただひたすらイメージしている」と言う。「スケボーのトリックも、滑り方の内容も全部、俺の頭の中の想像図が形になっているだけで、自分の中でイメージしたものだけを表現している」

 用意万端でも、打撲から骨折までけがには付きまとわれた。「それだけ痛い思いをしても、やっぱり自分がトライしていること、初めてそれをメイクしたときの喜びには代えられない。どれだけ体が痛くてつらくても、一発でいいから自分の狙ったことを決められると、最高に気持ちがいい」

 現在、鍼灸(しんきゅう)師になることを目指している大内さんは、スケートボードの五輪デビューを歓迎している。先月25日には堀米雄斗(Yuto Horigome)選手が「男子ストリート」の初代王者になり、興奮した。「やっぱり日本人なんで、日本の選手、頑張ってほしいなって思いますね」

 大内さんには、さらに大きな志がある。視覚障害者のブラインドスケートボーディングが、パラリンピック競技の種目として採用されることに力を尽くしたいと言う。

「ある意味、こう神様からもらった俺への試練というか、やらなきゃいけない使命だと思うんで、今後、競技化に向けていろいろ動いていきたいなと思っています」

 映像は7月21日撮影。(c)AFP