【8月5日 東方新報】10~14世紀に国際貿易都市として栄えた中国・福建省(Fujian)泉州市(Quanzhou)の遺跡群が、「泉州 宋朝・元朝における世界の海洋貿易センター」として世界遺産に登録された。マルコ・ポーロ(Marco Polo)も訪れた古城の遺跡はいったん登録に失敗する挫折も経て、中国で56か所目の世界遺産となった。

 国連教育科学文化機関(ユネスコ、UNESCO)の第44回世界遺産委員会会議は7月25日、22か所の遺跡群を構成要件とした泉州を世界遺産に登録した。その遺跡を見ていくと、往時の泉州の多元性・多様性がよく分かる。ペルシャやアラブから来航した商人が拠点としたモスク・清浄寺、イスラム教の聖墓、現存する世界唯一のマニ教開祖の石刻像、道教の海神・媽祖(まそ)をまつり外国商人の拠点となった天后宮、仏教寺院・開元寺、輸出用陶磁器の生産拠点・徳化窯跡、海路の安全のため順風を祈願した九日山石刻群、当時の最新技術で作られた大型の渡海石造橋・洛陽橋、商船が泉州港に入る際の目印となった万寿塔…。世界各国の商船が出入りし、活発な取引が行われていた光景が浮かんでくる。

 宋・元は王朝時代の中国において海上貿易の最盛期であり、インド、ペルシャ、アラブ、ヨーロッパ、東アフリカ、日本、朝鮮との交易が盛んとなった。泉州港から陶磁器や絹製品、漆器、茶葉が世界に運ばれ、香辛料や象牙、金・銀が世界から運ばれてきた。13世紀にはイタリアの冒険家マルコ・ポーロが「東方見聞録」で、14世紀にはモロッコの大旅行家イヴン・バトゥータ(Ibn Battuta)が「三大陸周遊記」で泉州の繁栄ぶりを叙述している。泉州は刺桐(デイゴ)が多く生い茂っていたことから「刺桐城」と呼ばれ、ヨーロッパでは「ザイトン」の名で知られていた。福建省海洋文化研究センターの特別研究員の李冀平氏(Li Jiping)は「自由な海上交易が行われた中国における大航海時代だった」と話す。元朝滅亡後の明朝は民間海上貿易を禁じる海禁政策を出し、海洋都市・泉州は衰退した。

 泉州を世界遺産に登録する活動は1990年代から始まった。当時の泉州市文化財局長の陳炳琨(Chen Bingkun)氏は「当時は何のノウハウもなく、専門家を招いて一つずつ遺跡を調査していった」と振り返る。2006年に中国国内の世界遺産準備リストに登録され、2018年に「泉州の史跡群」として申請したが、ユネスコの諮問機関・国際記念物遺跡会議(イコモス、International Council on Monuments and SitesICOMOS)からは「テーマ性が欠如し、根本的に練り直すべきだ」として不登録を勧告された。中国の申請が初めて失敗した不名誉な記録を作ったが、「海のシルクロード」の拠点として構成要件を再整理して世界遺産に選ばれた。

 泉州は「世界の宗教博物館」と称され、「三歩進めば廟(びょう)があり、五歩進めば寺院がある」とも言われる。三国志の英雄・関羽(Guan Yu)をまつった関帝廟(びょう)とイスラム教寺院が隣り合わせ、仏教寺院にはヒンズー教の神々がまつられ、街にはキリスト教やユダヤ教の痕跡も残る。泉州の遺跡群が世界遺産に登録されたことは、世界の宗教や文化が争うことなく共存できるという平和のメッセージを送っているようだ。(c)東方新報/AFPBB News