【8月4日 AFP】オーストリアの首都ウィーンの老舗イタリアン・ジェラート店「モリンプラデル(Molin-Pradel)」は、130年以上にわたり愛されてきた。

 シルビオ・モリンプラデル(Silvio Molin-Pradel)さんは、1886年にウィーンでジェラートの屋台販売を始めた高祖父、アルカンジェロ(Arcangelo Molin-Pradel)さんについて、「それまで富裕層だけのものだったアイスクリームを民主化する手助けをした」と語る。

 それから100年以上が過ぎ、今ではオーストリアのアイス消費量は隣国イタリアを上回っている。

 アルカンジェロさんは、イタリア北部アルプス(Alps)の一部、ドロミテ(Dolomite)の貧しい家庭に生まれた。

 冷蔵庫が発明されるはるか以前、砂糖や牛乳、冷蔵費用は高額だったため、アイスクリームは長らく貴族の食べ物とされていた。

 だが、モリンプラデル家のような才気あふれるイタリア人は、水と果実エキスを主原料とするアイスを作り、状況を一変させた。

 ウィーンから車で6時間の距離にある伊ゾルド(Zoldo)出身のモリンプラデル家にとって、他の住民同様、季節ごとの出稼ぎは生活の一部だった。人々は船乗りや、きこり、アイス職人として出稼ぎにいったものだった。

 独ライプチヒ大学(Leipzig University)のマレン・メーリング(Maren Moehring)教授によると、国外に目を向けたイタリアのアイス職人たちが初めに向かった先がウィーンだった。

「凍った物」とも呼ばれたイタリア人季節労働者のアイスは、すぐにウィーンの一般市民の間で人気となった。

 メーリング氏によると、オーストリアのパン工房はイタリア人のアイスを、「危険な競争相手」とみなし、反発した。

 1894年、アイス職人は手押し車の屋台ではなく、ウィーン市内に店舗を構えることが認められた。

 モリンプラデル一家は、木立が並ぶウィーン中心部シュベーデンプラッツ(Schwedenplatz)広場にある店舗で、今も手作りジェラートの販売を続けている。

 夏には毎日、約5000人が店を訪れる。チョコレートやバニラなどの定番だけではなく、アボカドやラベンダー、ヘンプ(大麻)など変わり種も含め数十種類のフレーバーを提供している。

 シルビオさんは、「色はパステルでなければならない。高品質の証拠だ」と話した。

 オーストリア商工会議所によると、人口900万人ほどのオーストリアには約370軒のアイス販売店があり、うち約40軒は今もイタリア系住民が経営している。

 同会議所のデータによると、オーストリアの1人当たりのアイスの年間消費量は60スクープ(約8リットル)で、イタリアの6リットルを上回る。(c)AFP/Blaise GAUQUELIN