【7月25日 AFP】日本重量挙げのレジェンド、三宅義信(Yoshinobu Miyake)氏は24日、東京五輪が無観客で開催されているため、めいの三宅宏実(Hiromi Mayake)を直接で応援することはできなかった。

 そのため、1964年の東京五輪で金メダルを獲得した81歳は、自身が監督を務める大学のトレーニング室で学生とテレビ観戦した。

 義信氏が五輪連覇を果たした1968年メキシコシティー五輪では、宏実の父親である三宅義行(Yoshiyuki Miyake)氏が同じ階級で銅メダルに輝いている。

 超人の血統を継いだ宏実は、2012年のロンドン五輪で銀メダルを、2016年のリオデジャネイロ五輪で銅メダルを獲得。

 しかし、1年延期された東京五輪は、新型コロナウイルスの感染拡大により無観客開催を余儀なくされ、宏実の3個目のメダル獲得への挑戦は空席のスタンドの前で行われることとなった。

 トレーニング室のテーブルにはプロジェクターがセッティングされ、義信氏はグレーのスーツ、淡い青のシャツとネクタイといういでたちで椅子に腰を下ろした。

 東京国際大学(Tokyo International University)ウエイトリフティング部の学生は、チームのポロシャツに青のショーツをはき、練習器具に囲まれる中でベンチに座り試合を観戦した。

 全員マスクをして集合したトレーニング室の壁には「一人はみんなのために、みんなは一人のために」と英語と日本語で書かれた垂れ幕が掲げられた。

 だが49キロ級で宏実はメダル獲得を逃し、義信氏は肩を落とした。重量挙げ今大会最初の金メダルは中国の侯志慧(Zhihui Hou)が手にした。

「力はあるんですよ。力はあるんだけど、何かこう迷いがある。要するに無心になっていない。無心になろうとしてもなれない。これがすなわち筋力の衰えではないかと思う」

 めいの5度目の五輪を「素晴らしい」と称賛した義信氏は、「それだけでも宏実の貢献度は高い。世界にもあるいは日本にも」と話した。

 負けないためにもっと一生懸命に挑戦するべきだった、と愛のむちとも取れる言葉を続けた一方で義信氏は、35歳という年齢が競技をより難しくさせたとし、新型コロナウイルスのパンデミック(世界的な大流行)の影響を大きく受けためいに同情した。

「彼女にとってはつらい1年間だったんじゃないかな。1年間延びて五輪に間に合った人もいるわけですよね。これはしょうがない」 (c)AFP