■「奇抜なアイデア」

 13時間かかった移動では、イスラエルとパレスチナ両サイドが連携した。機体の両翼を一時的に切り離し、巨大なレッカー車でけん引するために主要道路は閉鎖された。

「たくさんの報道機関に取材されました。イスラエルの警察が移送を取り仕切りました」とアタさん。「飛ぶための装備が一切ない旅客機がやって来ました」

 サイラフィ兄弟は2000年前後から飛行機レストランを始めるつもりだった。しかし同年、パレスチナで第2次インティファーダ(反イスラエル闘争)が起こり、開業は頓挫した。

「2年前にプロジェクトを復活させようと思ったが、今度は新型コロナウイルスの流行で実現できなかった」とカミスさんは述べた。

 長く延期されたプロジェクトがようやく復活するに当たり、イスラエル中部のベングリオン国際空港(Ben Gurion Airport)から、使われなくなった古いタラップを買った。ヘブライ語と英語で書かれた空港名は、今でも鮮やかに残っている。

 だが、解決すべき問題がもう一つある。飛行機レストランに隣接するごみ処分場を移転するよう、地元当局に働き掛けているところだ。

 25年近い待機の後、2人のプロジェクトはようやく飛び立つ。「パレスチナ自治区で航空機を持つなんて、とても奇抜なアイデアでしょう」とカミスさん。「だからこそ、このプロジェクトは成功するはずです」 (c)AFP/Hossam Ezzedine