【7月13日 People’s Daily】中国貴州省(Guizhou)遵義市(Zunyi)草王壩村(現在の播州区<Bozhou>団結村)は、重なり合う山々に覆われた村で、水不足は同村の貧困の原因だ。長い間、ここの人々が先祖代々から吟唱する民謡がある。「山が高く石が多く、外に出るとすぐ坂を上る。一年四季中に砂ご飯を食べ、お正月の時しか重湯(おもゆ)を飲めない」。

 村には黄大発(Huang Dafa)氏という高齢者がおり、彼は悔しく思い、運命をあきらめるということはしない。あくまで山と競う。彼は36年間を使い、ただ一つだけのことをした。それは水路を建設することだ。

 黄さんは1935年に草王壩村で生まれ、23歳で中国共産党に入党した。この年、彼は村の全員に大隊長に選ばれた。意気揚々とした黄さんは「決心の言葉」を述べた。水路を建設する。そこで、貴州北部の山奥で、黄さんは村民を率いて水路を建設し始めた。これは遵義の「先進的な水路」となる。

 しかし現実は厳しい。彼らは技術を知らなかった。測量には竹を立てるだけで、両側の人は目で測った。セメントが不足なら、溝の壁の上に直接黄泥を塗った。洪水導水路がなく、溝渠(こうきょ)も板をかぶせなかった。洪水が来ると、脆(もろ)い溝渠はぼろぼろに流された。

 志は尽きないと、誓って後に引かない。そのため、黄さんはいたるところに教えを求め、独学で水利技術を学んだ。どこかにダムや溝渠の工事があると聞くと、直ちに食ベものを持って「経験を学び」に出掛けた。

 1992年の春、黄さんは村民を率いて山奥に入り込んで水路を掘った。毎日休むことなく、毎日200人余りのチームを連れて山に入り、工事チームは前に壁を掘り溝を造り、村人たちは後ろに土を運び砦(さい)を築いた。

 天は自ら助くる者を助く。1995年には、この幹線水路の長さは7200メートル、分水路の長さは2200メートルに達した。3つの村の10以上の村民グループにまたがり、3つの山を回り、3つの絶壁を越え、3つの危険な崖を貫通する「命の水路」が通水した!

 通水の日、崖の上も、溝のそばも、人であふれていた。爆竹の音、拍手の音が耳から離れなかった。ブタを殺して宴席を設け、台を立てて成功を祝った。とてもにぎやかだった!この日は草王壩村の村民たちの最も喜ぶ日で、長い間の夢がついに実現した!皆は黄さんを取り囲んで壇上に上がって話をさせた。壇上に立った彼はしばらく黙り、何か言いかけて、一言も口に出せなかった。ただ涙は真っ黒でしわだらけの顔に沿って流れた。

「山が高く石が多いのを恐れず、懸命に働けば貧困から脱却できる。岩を掘り、水を引き入れ棚田を造り、貧しい村も金銀の巣になれる」。今の草王壩村は、村人の財布が徐々にふくらみ、幸せな生活は日に日に良くなっている。(c)People’s Daily/AFPBB News