【7月21日 AFP】オバイドラ・バヒール(Obaidullah Baheer)氏(31)の祖父は、アフガニスタンの武装勢力の残忍な首領として恐れられていた。1990年代、同国の内戦中に何千人も殺害したと非難されている。

 幼い頃、亡命先のパキスタンでは、武装勢力の政治指導者だった父親が真夜中に目の前で自宅から連れ出された。

 しかし現在、政治学者のバヒール氏は自分の一族の過去にとらわれていない。米軍のアフガニスタン撤退が完了する中、平和と和解の未来を見据えているからだ。

「過去を手放し、新しい出発点を選ばないといけません」と、バヒール氏はAFPとのインタビューで語った。彼は間もなく、アフガニスタン・アメリカン大学(American University of Afghanistan)で「移行期の正義」に関する講座を始める。

■「虐殺者」で「テロリスト」

 バヒール氏は、アフガニスタンの過酷な内戦が始まる直前に生まれた。1989年のソ連軍撤退後、反ソ武装勢力同士が戦っていた間、彼は隣国パキスタンで育った。

 祖父のグルブディン・ヘクマティアル(Gulbuddin Hekmatyar)氏は、元アフガニスタン首相で、イスラム武装勢力ヒズビ・イスラミ(Hezb-i-Islami)の創始者でもある。現在70歳代前半で、内戦中は首都カブールを包囲し、「カブールの虐殺者」の異名が付いた。

 ヘクマティアル氏の戦士らは、当時のアフマド・シャー・マスード(Ahmad Shah Massoud)国防相率いる部隊からカブールを奪回するため首都にロケット弾を浴びせ、数千人の死傷者が出た。それから数十年たった今も、この時の記憶は人々の間で薄れてはいない。

 最近カブールでの会合で幼少時代の亡命生活について語っていると、ある女性が自分の父親を殺したのはヘクマティアル氏だと言って、バヒール氏を責めた。

「私には何かを言うことも、することもできません。『申し訳ないですが、それは私ではありません』としか言えません」とバヒール氏は言う。

 祖父のヘクマティアル氏と父親のガイラート・バヒール(Ghairat Baheer)氏は、米軍による2001年のアフガニスタン侵攻に反対したため、米政府の怒りも買った。ヘクマティアル氏は当時、米政府にテロリスト指定された。

 ヒズビ・イスラミの政治局長だったバヒール氏の父親は、ヘクマティアル氏の娘と結婚した。亡命中、イスラマバードの自宅から父親を連行したのは、米中央情報局(CIA)の要員だったと考えている。

 連れ去られた父親は、数か所で何年も抑留され、拷問も受けたという。

 米軍は今月2日、主要拠点としてきたカブール近郊のバグラム空軍基地(Bagram Air Base)をアフガニスタン政府軍に返還したと発表した。2001年9月11日の米同時多発攻撃を受けて始まった米国の軍事介入が20年を経て事実上、幕を下ろす。