■ソ連のメダル獲得マシーン、ラリサ・ラチニナ:体操(ソ連)
 
 ウクライナ生まれのラリサ・ラチニナ(Larisa Latynina)は1958年、妊娠4か月で世界体操競技選手権(FIG Artistic Gymnastics World Championships)に出場し、5種目で優勝した。この強い意志の力こそが、彼女に18の五輪メダルをもたらす源となった。

 ラチニナは1956年メルボルン大会、1960年ローマ大会、1964年東京大会で金9個、銀5個、銅4個のメダルを獲得。五輪の最多メダル記録は、2012年ロンドン大会で米国の競泳選手マイケル・フェルプス(Michael Phelps)が塗り替えるまで、ほぼ半世紀破られることがなかった。

 ルーマニアのナディア・コマネチ(Nadia Comaneci)をはじめ多数の金メダリストを育てたコーチ、ベラ・カローリ(Bela Karolyi)は、「彼女がわれわれの初めてのレジェンドだった」と語っている。

■同一大会、金7個の快挙、マーク・スピッツ:競泳(米国)
 
 1968年メキシコシティー大会で金メダル6個を奪うと豪語していたマーク・スピッツ(Mark Spitz)。結果はリレーの2タイトルと個人種目の銀、銅各1個で、「人生最悪の大会」と嘆いた。

 だが、4年後のミュンヘン大会で、スピッツは世界を驚かせた。自由形とバタフライで100メートルと200メートルを制し、三つのリレーで金に輝き、同一大会で7個の金メダルという未曽有の快挙を成し遂げたのだ。おまけに出場した全種目で世界記録を塗り替えた。

 同一大会の金メダル獲得記録は、同胞マイケル・フェルプスが2008年北京大会で8個の金メダルを獲得するまで破られなかった。

■キューバの「モハメド・アリ」、テオフィロ・ステベンソン:ボクシング(キューバ)

 ヘビー級のボクサーとして初めて3個の五輪金メダルを獲得したテオフィロ・ステベンソン(Teofilo Stevenson)は、プロの世界チャンピオンだった米国のモハメド・アリ(Muhammad Ali)との高額の対戦オファーを断った。キャリアを通じてアマチュアに徹し、祖国の熱いファンを引き付けた。

 ステベンソンは「800万人のキューバ人の愛と比べたら、100万ドルに何の価値があるだろう?」と語っている。

 五輪史上3人が、ボクシングで金メダル3個を手にしている。1972年ミュンヘン大会、1976年モントリオール大会、1980年モスクワ大会の覇者ステベンソンの快挙は、その24年前のパップ(ハンガリー)以来だった。3人目は同じキューバのフェリックス・サボン(Felix Savon)で1992年バルセロナ大会、1996年アトランタ大会、2000年シドニー大会にヘビー級を制した。

 1988年、米誌「ボクシング・イラストレイテッド(Boxing Illustrated)」の投票で、ステベンソンは「五輪史上最も偉大なボクサー」に選ばれた。(c)AFP