【7月4日 AFP】アティジャ・カマチョ(Atija Camacho)さん(35)は1年前、モザンビーク北部ペンバ(Pemba)近郊の海沿いの貧困地帯で、3部屋しかない小さな家に夫と10人の子どもと暮らしていた。

 カマチョさんの40平方メートルほどの広さしかない家には今、43人住んでいる。

 イスラム系武装組織による攻撃が激化した昨年、カマチョさんは、近くの浜辺で見かけた30人以上に、自宅を避難所として提供した。浜辺には、北部の紛争からぼろぼろの船で逃れてきた人たちが、ほぼ毎日大勢流れ着いている。

 モザンビークでは、2017年から始まった武装勢力による襲撃で、70万人以上が家を追われた。うち6万4000人はここ2か月で増えたもので、北部パルマ(Palma)での大規模攻撃から避難した人たちだ。

 複数の人道支援機関によると、避難民10人のうち少なくとも8人は家族や友人、見知らぬ人の家に身を寄せている。

 家を失った人々は、北部カボデルガド(Cabo Delgado)州の州都ペンバに到着すると、親類を探すか、または浜辺にとどまって政府が臨時避難所に移送してくれるのを待つ。避難所に行くまで何日も待たなければならないこともある。

「幾人か浜辺に、屋外に残っているのを見て、かわいそうに思った」。カマチョさんは、なぜ大勢を自宅に住まわせることになったのかを、柔らかな口調でこう説明した。

 自宅から数メートル離れた屋外で、「お客」の一人アワ・ヌジャネ(Awa Njane)さん(19)が、小さな椅子に座って炭を燃やし、夕食の準備をしていた。

 ヌジャネさんは昨年10月、父親が過激派に捕まって首をはねられた後、カボデルガド州のキサンガ(Quissanga)から逃れてきた。夫や母がどこにいるかは分からない。

 ヌジャネさんは、当時生後1か月の息子と、1週間ほど汚い浜辺で野宿していた。そんな自分たちに避難場所を提供してくれた新しい「母」、カマチョさんには深く感謝している。

 カマチョさんは、自宅に暮らす43人の腹を満たすにはまったく足りない量のイワシを揚げながら、「食料を手に入れるのはとても難しい」と話す。

 深くトラウマを負った生存者らの受け入れを行っている国際移住機関(IOM)は、避難民だけではなく、避難民を受け入れている人にも精神的ケアを行っている。一部は、自身の生活がままならない状態にもかかわらず、避難民を受け入れているからだ。

 ペンバで活動するIOMの精神医療専門家、デリヤ・フェルハト(Derya Ferhat)氏は、「移民を受け入れる人たちも限られたものしかないにもかかわらず、喜んで分け合っている。人間性が彼らを団結させている」と述べた。

「モザンビークの人たちには驚かされている。非常に寛大だ」と続け、「人々は心から喜んで支え合っている」と語った。(c)AFP/Susan NJANJI