【6月26日 AFP】世界のどこであろうと、最も助けを必要としている人々に現地で手を差し伸べたい。今年、創設から50年の節目を迎える国際医療援助団体「国境なき医師団(Medecins Sans FrontieresMSF)」は、フランスの新米医師らのこんな思いから誕生した。

 MSFは、地震、飢饉(ききん)、伝染病、紛争などの被害に遭った人々に医療支援を行ってきた。イエメンでは内戦の避難民を助け、アフリカではエボラ出血熱と闘い、地中海では移民を救助するなど、活動内容は多岐にわたり、現在は、およそ75の国と地域で100余りの活動を展開している。

 資金も人材も乏しいが、ひたむきな医師ら数人の夢から始まったMSFは、人道的な働きで国際的に認知されるようになり、1999年にはノーベル平和賞(Nobel Peace Prize)を受賞した。しかし、今のような知名度を得るまでには、論争や批判なき、というわけにはいかなかった。

「私たちの夢は、壮大な物語に発展した」とMSF共同創設者グザビエ・エマニュエリ(Xavier Emmanuelli)氏(83)はAFPに語った。

■夢の始まりは悪夢

 もう一人の創設者ベルナール・クシュネル(Bernard Kouchner)氏(81)は、「人々が苦しんでいる場所ならどこにでも行こうと思った」と語る。「今なら当たり前と思えるかもしれないが、当時は革新的だった」。同氏は2007年から2010年までフランスの外相を務めている。

 だが、夢の始まりは悪夢だった。

 1968年、ナイジェリア南東部ビアフラ(Biafra)の分離・独立派と政府軍の間で戦争が続いていた。軍はビアフラを包囲し、爆撃と飢餓で民間人が命を落としていた。

 パリの新卒の医師らは、赤十字国際委員会(ICRC)の呼び掛けに応じてナイジェリアを訪れ、惨状を目の当たりにした。

「子どもたちがばたばたと死んでいた。軍が全ての物資の供給を遮断していたためだ」。当時、医師として現地に派遣されたクシュネル氏はAFPに語った。「若かった私たちは、この状況を非難するのは医療従事者として当然の務めだと考えた」

 ICRCは任務遂行に当たって守秘義務を順守するが、その方針に逆らい、医師らはビアフラ戦争の実態をメディアに伝えることにした。

 治療するだけではなく、現地の実情を証言するMSFのやり方は、人道支援の新たな概念をつくり上げた。