【6月8日 AFP】アシフ・スルタニ(Asif Sultani)さん(25)は、7歳の頃から五輪出場を目指してきた。アフガニスタンでの迫害に耐え、難民としてオーストラリアにたどり着くまでの道のりは苦しいものだった。しかし、空手の黒帯を持つスルタニさんが東京五輪への出場権を手にするまで、ついにあと一突きのところまで来た。

 スルタニさんは、難民アスリートとして奨学金を得ている56人の一人だ。現在、東京五輪の難民選手団入りを目指している。難民選手団は、2016年のリオデジャネイロ五輪で初めて結成された。

 オーストラリアに渡るまでの9年間の旅は、内戦と少数民族ハザラ人(Hazara)への迫害から逃れるために家族でアフガニスタンを脱出した時に始まった。

 イランまでの道のりは悪夢のように「恐ろしかった」と振り返る。家族は銃で武装した男たちに所持品を奪われ、誘拐されるか殺されるかの危険と常に隣り合わせだった。

 イランでは穏やかな暮らしを送れるはずだと思っていたが、希望を抱いたのもつかの間のことだった。唾を吐き掛けられ、殴られ、執拗(しつよう)ないじめに遭ったスルタニさんは、護身術として武術を習い始める。

 だが、不法入国者だったことから練習場を追い出され、指導者もいなかった。そこで裏庭に道場を手作りし、アクション映画スター、ブルース・リー(Bruce Lee)のカンフー映画を繰り返し見ながら、見事な動きを手本に友人たちと練習を積んだ。

 ところが、16歳の時、一人でアフガニスタンに強制送還されてしまう。

 家族とは離れ離れになり、内戦も続いていた。スルタニさんは再びアフガニスタンを逃れ、インドネシアを経て、ぼろぼろの船でオーストラリアを目指した。

 危うく命を落としかけながらたどり着いたオーストラリアでは、移民収容施設で数か月を過ごした。練習に打ち込むスルタニさんの様子を目にした施設の職員らも応援してくれるようになった。

 難民認定を受けて、シドニー北部のメートランド(Maitland)に定住し、やっと新しい生活に踏み出した。

 初めて教育を受けることができたのは18歳になってから。学校に行き、道場も見つけた。

 以来、ますます空手の練習に力を入れている。スルタニさんにとって空手は、生きるか死ぬかの困難を克服する原動力となってきた。

 空手は「人生で大きな部分を占めている。子どもだった私を救ってくれた」とスルタニさんは話した。(c)AFP/Andrew LEESON