【5月14日 People’s Daily】中国広東省(Guangdong)で北の東莞市(Dongguan)橋頭鎮(Qiaotou)から南の深圳市(Shenzhen)のダムまで流れる長さ83キロの東深水道は、香港、深圳、東莞の住民2400万人の生活と生産を支える重要な水源となってきた。広東省東部の主要河川・東江の水を利用し、1965年3月1日に完成した水道は2020年末まで55年間にわたり、香港に計267億立方メートルの水を供給してきた。この水道の建設には、香港に水を届けようと無私の精神で粉骨砕身した何千人もの建設労働者の努力があった。

 三方を海に囲まれ、淡水資源が少ない香港。1963年に「100年に1度」という大干ばつに見舞われ、市民への給水は大幅に制限された。ひどい時は4日に1回、4時間しか水が供給されず、何百万人もの人々が窮地に立たされた。

 香港中華総商会や香港九龍労働組合連合会は広東省政府に援助を要請。1963年末、周恩来(Zhou Enlai)首相は自ら政府に指示し、香港の水不足解消のため3800万元(現在のレートで約6億4600万円)を投入し、東江ー深圳給水建設工事が始まった。

 香港の水不足を根本から解決するため、広東省は大胆な構想を打ち出した。東莞市橋頭鎮から東江の水を引き、用水路で深圳ダムに水を送り、ダムからパイプラインで香港に水を送るというものだ。ただ、当時の技術ではそれは極めて困難なものだった。

「何があっても任務を達成しなければならない!」。1964年2月20日、東深水道プロジェクトが始まった。ピーク時は2万人以上が工事に従事。悪天候の中でも工事は続き、1964年10月13日には、大学生の羅家強(Luo Jiaqiang)さんが転落事故で若い命を落とす悲劇もあった。そして絶え間ない努力の末、工事はわずか1年で完成した。

 東江の水の到来は、香港に多大な発展をもたらした。1964年の香港の社会的生産額は113.8億香港ドル(現在のレートで1604億円)だったが、1996年の香港返還時は1兆1600億香港ドル(約16兆3560億円)に拡大した。香港特別行政区水務局の呉猛冬(Wu Mengdong)副局長は「中央政府が香港に東江の水をもたらしてくれたおかげです」と感慨深げに話す。

 改革開放政策が始まって以来、東深水道は4回の改築・拡張工事が行われ、年間給水量は第1期の6800万立方メートルから24億2300万立方メートルに増加した。2000年8月、東深水道の第4期改修工事が行われた。水道は自然の河川から完全に分離した閉鎖型のパイプラインとなり、世界最大の導水プロジェクトになった。深圳市羅湖区(Luohu)の深圳ダムの水質は1年を通じて国家地表水Ⅱ類の標準を保っている。

 広東省の水道事業は今、新たな段階に入っている。広東・香港・マカオ大湾岸圏(グレーターベイエリア)と経済先端都市・深圳に必要な用水を守るため、中国南部を流れる珠江水系を活用する「珠江デルタ水資源配分プロジェクト」を決定した。計画の総延長は113キロ、年間給水量は17億800万立方メートル、総投資額354億元(約6020億円)、総工期5年。完成後は珠江水系の最大の支流・西江から珠江デルタ地域東部への導水が可能となり、広州市(Guangzhou)、深圳、東莞の水不足を解決するとともに、香港などに緊急時のバックアップ水源を提供する。大湾岸圏の建設・開発に重要な水供給を保障することになる。(c)People’s Daily/AFPBB News