日本で実を結んだ50年前の「ピンポン外交」 中国で記念イベントが相次ぐ理由は?
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【5月12日 東方新報】1971年に名古屋市で行われた第31回世界卓球選手権(World Table Tennis Championships)で、当時国交のなかった米国と中国の代表チームが交流し両国の緊張緩和をもたらした「ピンポン外交」から、今年で50年の節目を迎えた。中国では記念イベントが相次いで行われ、政府高官が「当時の精神を思い起こそう」とアピール。「新冷戦」といわれる対立が続く米中関係の改善につなげようとしている。
1971年3月28日から4月7日まで開かれた世界卓球選手権には、日本卓球協会会長で愛知工業大学(Aichi Institute of Technology)学長だった後藤鉀二(Kouji Gotou)氏らの尽力で、中国代表が6年ぶりに参加した。4月4日、会場へ向かう中国代表のバスに米国代表のグレン・コーワン(Glenn Cowan)選手が間違えて乗車。中国のエース荘則棟(Zhuang Zedong)が杭州(Hanzhou)製の錦織をプレゼントし、交流が生まれた。4月10日には米国代表が中国の招待を受けて日本からそのまま中国へ訪問。両国政府の関係改善の動きが加速し、同年7月に米大統領補佐官のヘンリー・キッシンジャー(Henry Kissinger)氏が極秘に訪中し、翌72年2月にリチャード・ニクソン(Richard Nixon)大統領の訪中が実現した。雪解けの流れは、その後の日中国交正常化にもつながった。国連の舞台では1971年10月に中華人民共和国の中国代表権を認め、中華民国(台湾)を追放する決議が採択され、中国が国連常任理事国として国際社会に登場することになった。
米国代表訪中からちょうど50年後の今年4月10日、上海市で中国の学生や米国の総領事館関係者らの卓球親善試合が行われ、中国人と米国人がペアを作ってダブルスの対戦を楽しんだ。上海ではピンポン外交の様子を伝える写真やビデオの展示会も行われ、融和ムードを演出した。
4月24日には北京で記念イベントが開かれた。ビデオメッセージで王岐山(Wang Qishan)国家副主席は「この50年間で中米関係は全体的に前進した。現在、中米関係は重要な岐路に立っているが、協力こそが唯一の正しい選択だ」と強調。キッシンジャー氏も「米中が重要な問題をめぐり意見が食い違っている中、ピンポン外交は今も多くの人の期待を表現している。それは、米中がともに歩み寄ることだ」と訴えた。
前外相で中国共産党政治局員の楊潔篪(Yang Jiechi)氏は4月29日、共産党機関紙・人民日報(People's Daily)にピンポン外交を振り返る寄稿で「中米両国はピンポン外交の精神を継承し、国際社会の安定した発展に貢献していく必要がある」と呼びかけた。楊氏は3月の米中外交トップ会談で「米国は上から目線で中国にものを言う資格はない。中国人はその手は食わない」と痛烈に米国を批判していた。
1971年に名古屋で卓球世界選手権が行われた当時は、第2次世界大戦後から長年敵対していた米中両国の政府が互いに関係改善を模索していた時期だった。「友好第一、試合第二」という指示を受けて訪日した中国代表チームが米国チームと交流したことは「渡りに船」で、両国が一気に接近するきっかけとなった。「小球転動大球(小さなピンポン球が世界を動かした)」と言われたピンポン外交の精神に立ち返り、現在の米中両政府が「友好第一」の姿勢で歩み寄るかが注目される。(c)東方新報/AFPBB News