街が様変わりした1964年東京五輪
発信地:パリ/フランス
このニュースをシェア
■技術発展の披露の場
純粋なスポーツの祭典というだけでなく、1964年の五輪はテレビを通じて日本の技術力を披露する機会でもあった。
開会式と閉会式、いくつかの競技はカラー放送があり、映像は衛星放送で米国へ直接届けられ、欧州でも録画放送された。スローモーションが幅広く使われるようになったのもこのときからで、雑音をカットする画期的なマイクも登場した。マラソンの生中継も実施された。
開会式の9日前には、完成に5年半を要した新幹線の開業式が行われ、昭和天皇がお言葉を述べた。時速210キロで東京と大阪を結ぶ世界最速の列車の登場は、新幹線時代の幕開けと称された。
当時1060万の人口を抱え、世界最大の都市だった東京は、五輪に向けて完全に復興した。
広大な道路網が高架と地下の両方で整備され、工場や、古い木造家屋に取って代わった鉄筋アパートの下を走るようになったことを、AFPは開会式前日の10月9日の記事で伝えている。地下鉄の路線も新設され、選手村と羽田空港(Haneda Airport)を結ぶ東京モノレールも開通した。
AFPは「五輪の開催のために、一つの国がこれほどの労力を払うのは初めてのことだ。この1年間で、東京は完全に様変わりした」と伝えている。
そうした努力のかいあって、日本は世界の称賛を浴びることになった。大会でも、柔道の神永昭夫(Akio Kaminaga)がオランダのアントン・ヘーシンク(Anton Geesink)に敗れる残念な出来事はあったが、メダル獲得数はスポーツ大国の米国とソビエト連邦に次ぐ3位を記録した。(c)AFP/Andrea GRAELLS TEMPEL
