【5月5日 AFP】フランス皇帝ナポレオン・ボナパルト(Napoleon Bonaparte)についての評価はまだ決着がついていない。フランスの近代化を進め、歴史上最も有名な戦闘で数々の勝利を収めたナポレオンは同時に、女性の従属的地位を法制化し、奴隷制を復活させた。

 流刑地の孤島セントヘレナ(Saint Helena)での死から5月5日で200年。欧州を支配し自らを皇帝と宣言したナポレオンは英雄だったのか、それとも悪人だったのか、その評価をめぐる議論に焦点を当ててみた。

■軍事戦略家

 1799年に軍事クーデターで権力の座に就いた前後に、ナポレオンは最も有名な「アウステルリッツの戦い(Battle of Austerlitz)」をはじめとする一連の歴史的勝利を収めていた。

 軍事の天才と見なされるナポレオンは、敵の弱点を突く攻撃主導の戦術で、戦場のあらゆる状況を支配した。

 今日でさえ、ナポレオンの手法は世界中の陸軍士官学校で研究されている。

■近代国家の樹立

 権力掌握後のナポレオンの主な遺産は、近代的かつ強力な中央集権国家を創設し、発展させたことだ。全国土に適用される一連の規則を備えた国家は、今日の政府の鋳型となっている。

 ナポレオンが創設した制度の一部は、今日もなおフランスに存在している。

■民法典

 ナポレオンのもう一つの疑いようのない成果は民法典で、数多くの法体系の基礎となった。1804年に公布されたこの法律は、万人の法の前の平等を定めた。これにより、ナポレオンはフランス革命の成果の一つである封建制の終焉(しゅうえん)を完成させた。

■平等…ただし女性を除く

 ここからはナポレオンの遺産の輝かしいとは言えない側面だ。

 フランスのエリザベット・モレノ(Elisabeth Moreno)首相付男女平等・多様性・機会均等担当相によると、ナポレオンは地球上に存在した「最も激しい女性差別者の一人」だった。

 民法典は一家の男性にその妻や子どもらに対する支配的地位を与え、妻は夫に従わなければならないと定めている。

 そして、ナポレオンが編さんに関わり1810年に公布された刑法典の下では、自宅で不義を犯した妻を見つけ、殺した夫は、処罰されないとされていた。