【5月16日 AFP】弦楽器のオリエンタルリュートが、イランで数十年ぶりに人気だ。分断された中東地域で、音楽家たちは国境を超えてつながり、アラブやトルコの伝統音楽に欠かせないこの楽器の魅力を再発見している。

 アラビア語で「ウード」、ペルシャ語では通常「バルバット」と呼ばれる。ただし、それぞれの楽器は互いにやや異なるという主張もある。

 首都テヘランでウードを教えるマジド・ヤーヤネジャド(Majid Yahyanejad)さん(35)。ウードを学ぶ人は「この15年ほどで大幅に増えました。有名講師だと生徒数は以前は10人程度でしたが、今では50人くらいでしょう」と言う。

 テヘランに住む音楽家、ヌーシーン・パスダル(Noushin Pasdar)さん(40)も同じように感じている。彼女は芸術の専門学校を卒業後、23年ほど前にこの楽器を教え始めた。「当時の生徒の大半はかなり高齢でしたが、今はもっと若くなっています」と言う。

「ウードについては、エジプトとイラクで演奏されていたことしか分からず、トルコのウードのことは何も分かっていませんでした。しかし今では、シリアやクウェート、ヨルダンでも演奏されていたことが分かっています」

■楽器を通じた友情

 イランの若手ウード奏者たちはアラブやトルコの文化に寄せる関心が高く、「トルコ、アラブ、イランの音楽家同士、インターネット上で友人になっている」ことに、ヤーヤネジャドさんは気付いた。

 イランとシリアは、ウードの製作とその演奏を国連教育科学文化機関(ユネスコ、UNESCO)の無形文化遺産に登録しようと活動している。

 パスダルさんは、初めてウードに出会ったときのことを覚えている。音楽教師たちがウードを見せてくれたことがきっかけで、音楽家の集まるテヘラン中心部のバハレスタン広場(Baharestan Square)まで楽器を探しに行った。

 しかしわずか二つしか見つからず、どちらもエジプト製で、初心者には大きすぎるものだったという。

 テヘランの小さな工房でウードを製作するファーテメ・ムサビ(Fatemeh Moussavi)さんによると、当時はウード製作者がほとんどおらず、高価な楽器だった。状況が変わったのは2000年代初頭。主にシリアとトルコから数千台のウードがイランに入ったことで、価格が下がった。

 イランではイスラム教シーア派(Shiite)の聖職者によって聖典コーラン(Koran)と宗教法を学ぶことが優先されるが、当時は1997年から 2005年まで大統領を務めた改革派のモハマド・ハタミ(Mohammad Khatami)師の下、自由化が進められていた。この時期、芸術シーンも時代の恩恵を受けることができた。

 2016年にはテヘランの舞台で、イランのグループ「ガルドゥン(Gardoun)」とレバノンのウード奏者が共演した。翌年はトルコの演奏者がこれに続いた。またペルシャ語の詩に曲を付け、イラン人音楽家を含めたオーケストラを率いて複数の演奏会を開いたチュニジア人奏者もいる。

 ヤーヤネジャドさんは、音楽を介した交流が、何十年間も戦争や内戦に苦しんできた中東で、宗教や文化を超えた友情を育むことに希望を抱いている。「この地域の人々の和解に、この楽器が役立つことができるかもしれません」 (c)AFP/Karim Abou Merhi and Ahmad Parhizi