【4月12日 AFP】60年前の4月12日、旧ソ連のユーリ・ガガーリン(Yuri Gagarin)飛行士が人類初の宇宙飛行を成し遂げ、米国との宇宙開発競争で自国の勝利を確実にするとともに、歴史に新たな一ページを刻んだ。

【図解】ガガーリン初飛行から60年に振り返る宇宙探査の歴史的瞬間

 旧ソ連は長年にわたり、この歴史的ミッションに関する詳細の多くを明らかにしなかった。その結果、数十年を経てガガーリン氏の宇宙飛行は虚構のベールに覆われてしまった。

 この記事では、ガガーリン氏の伝説的飛行について知っておくべき五つのことをまとめた。

■「さあ行こう!」

 金属工場の見習い工から軍のパイロットになったガガーリン氏は数千人の候補から選ばれ、宇宙飛行のために必要な厳しい訓練を受けた。

 1961年4月12日、カザフスタンにあるバイコヌール宇宙基地(Baikonur Cosmodrome)から飛び立つ際に、27歳のガガーリン氏は「パイエハリ!(ロシア語で、さあ行こう!の意味)」と声を上げた。この言葉は彼の象徴的なキャッチフレーズとなっている。

■危険な任務

 ガガーリン氏を乗せた宇宙船ボストーク1号(Vostok 1)は地球軌道を1周した。全飛行時間はわずか108分だった。

 この間に十数件の技術的問題が発生。その一つはボストーク1号が予定より高い高度で周回軌道に入ったことだった。

 もし宇宙船の制動装置が正常に機能しなかったら、ガガーリン氏は宇宙船が自然に降下し始めるのを待たなければならなかっただろう。ボストーク1号には10日間持ちこたえられる食料、水、酸素が積まれていたが、軌道の高度がより高ければ待機時間がはるかに長くなり、必需品を使い果たしていたかもしれない。

■スパイの疑い

 ガガーリン氏はロシア南部サラトフ(Saratov)地域の上空で帰還カプセルから射出され、予定の着陸地点から数キロ離れた場所に降下した。

 着地したのは農村で、最初に会ったのはジャガイモを掘っていた女の子とその祖母だった。

 東西冷戦による緊張状態の渦中にあった当時、白色のヘルメットをかぶり、オレンジ色の宇宙服を着たガガーリン氏はまず、外国のスパイではないと懸命に2人に言い聞かせた。

■放尿の儀式

 ガガーリン氏が離陸前、発射台に向かうバスの運転手に用を足したいから車を止めるように頼み、右後輪に立ち小便をしたというのが語り草になっている。

 ロシア人宇宙飛行士らは長年、打ち上げ前にこの儀式を繰り返してきたが、2019年に公開された新デザインのロシア製宇宙服には、前ジッパーが付いていない。

■ガガーリンの影の人物

 ガガーリン氏が旧ソ連で誰もが知る有名人になった一方で、長い間その存在を誰にも知られていなかったのが、同国の宇宙計画の立案者、セルゲイ・コロリョフ(Sergei Korolyov)氏だ。

 旧ソ連は「主任設計者」に贈られたノーベル賞(Nobel Prize)を辞退してまで、その身元をかたくなに秘密にした。コロリョフ氏の名前は、1966年の死後に初めて明らかにされた。(c)AFP