【4月6日 Xinhua News】中国湖北省(Hubei)襄陽市(Xiangyang)にある新石器時代の鳳凰咀(ほうおうそ)遺跡でこのほど、古城壁と護城河(堀)の遺構が見つかった。専門家は出土した大量の土器や石器、少量の玉器などの分析により、同遺跡が5200年前から3900年前のものと判断している。屈家嶺(くつかれい)文化、石家河(せっかが)文化、煤山文化に属するという。

 遺跡は長江の支流漢水の中流域、南陽盆地の南端に位置し、不規則な形をした台地の上にある。平面が正方形に近い城跡で、面積は約14万平方メートル。四方を城壁に囲まれ、その外側には護城河がある。武漢大学(Wuhan University)が湖北省文物考古研究所、襄陽市博物館などと合同で昨年8月から調査を実施。450平方メートル余りを発掘した。

 武漢大学考古学部の単思偉(Shan Siwei)博士は、今回の調査で城壁と護城河の存在と構造が確認でき、城跡の盛衰年代に関する初歩的認識が得られたと説明。城壁から屈家嶺文化の土器片が大量に出土したことから、修築年代は初期屈家嶺文化に属するとの見方を示した。堀の発掘では煤山文化の堆積層が露出しており、現在も調査を進めているという。

 今回の発掘では、城壁と護城河を発見したほか、住居跡6カ所、灰坑223カ所、灰溝11本、紅焼土の堆積3カ所、墓16基、甕(かめ)棺22個、土器片堆積3カ所、土器窯3基、土盛り基壇1カ所も見つかった。単氏によると、住居跡は石家河文化に属するという。F5と名付けられた住居遺構では、草を混ぜた泥で丁寧に作られた固い壁が見つかった。整った石灰面が多層に重なっており、幾度も修繕と壁の塗り替えを行った痕跡があることから、高位者の住居跡ではないかとみている。

 鳳凰咀遺跡とその周辺集落を合わせた面積は約50万平方メートルで、城内には大規模建築遺構があり、高い建築技術と格式を示している。付近で出土した多くの小型玉器やトルコ石装飾品は等級も高く、遺跡は湖北省北西部の中心地だったと推測される。(c)Xinhua News/AFPBB News