【3月27日 Xinhua News】中国浙江省(Zhejiang)竜泉市(Longquan)の竜泉宝剣廠で鋳造される竜泉剣は、中国刀剣鍛冶の始祖とされる欧冶子(Ou Yezi)の鍛冶技法を受け継ぐ。2千年余りにわたり脈々と続く伝統的な鋳剣技法は、中国の国家級無形文化遺産に登録されている。

 欧冶子は春秋時代末期から戦国時代初期にかけての越国の人で、竜泉剣や湛盧(たんろ)剣を作った人物とされる。現在は、福建省(Fujian)北部の湛盧山と浙江省竜泉市の七星井に欧冶子の鋳剣遺跡が残る。

 竜泉剣は欧冶子が最初に完成させた剣とされている。同剣は当初「竜淵剣」と名付けられ、鋳剣された地も剣にちなみ竜淵と呼ばれるようになったが、唐代に初代皇帝、李淵(Li Yuan)の諱(いみな)を避けるため「淵」の字が「泉」に改められた。

 欧冶子は越王勾践(こうせん)のために湛盧、巨闕(きょけつ)、勝邪(しょうじゃ)、魚腸(ぎょちょう)、純鈞(じゅんきん)の5振りを鋳造し、楚の昭王には竜泉、泰阿(たいあ)、工布(こうふ)の3振りを作った。これらの名剣の名は数多くの史料に記され、今日に伝わっている。

 宝剣が武器として戦場で使われることは少なく、むしろ指揮官の身分や地位を示すために用いられた。文人墨客に好まれたことから、儀礼用の器物、特別な関係を示す証しとしての意味合いも強まった。唐代の詩人李白(Li Bai)はとりわけ剣を好み、剣を歌った詩を100首余り残している。

 竜泉市は古くから刀剣の鋳造が盛んで、明清時代には民間の鍛冶屋が立ち並んでいた。新中国成立後には竜泉宝剣廠やその運営企業などが設立され、手工業による刀剣作りの伝統が今も受け継がれている。竜泉宝剣は設計から鋳造、鞘(さや)などの飾りの制作までを含め完成に3カ月以上かかるといわれ、長年にわたり国や政府の贈答品として、国内外の賓客や友好人士に贈られてきた。

 竜泉宝剣廠は現在、文化観光3A景区(観光地)に指定されており、研磨工房や祖師廟、論剣亭などの多くの名所がある。敷地面積数千平方メートルに及ぶ展示ホールは、名剣5千振り余りを収蔵しており、2千年以上にわたる中国の伝統的な鋳剣技法を紹介している。

 同市の刀剣協会副会長で、浙江省高級工芸美術師の鄭偉平(Zheng Weiping)氏は竜泉剣について、中国伝統文化のシンボルであり、世界中の人々から愛されていると語った。年間生産額は1億元(1元=約17円)を上回り、海外からの受注件数は年間10万振りを超えると説明。需要に追い付かず、今年は既に注文が9月まで埋まっているという。海外への輸出は竜泉宝剣の活力を支える上で重要な役割を担っている。

 中国では古来、将兵に剣を贈る習慣があり、その起源は秦漢時代にさかのぼる。竜泉市は今月18日、今年入隊する新兵40人の歓送式で「従戎之剣(じゅうじゅうのけん)」と呼ばれる剣を贈った。(c)Xinhua News/AFPBB News