■ダンテは愛称

 巨匠ジョット(Giotto)やミケランジェロ(Michelangelo)ら、イタリアを代表する他の偉人と同様、ダンテもファーストネームのみで広く知られている。ダンテという名前は、ファーストネームであるドゥランテ(Durante)の愛称だ。

 ダンテは1265年にフィレンツェ(Florence)で生まれた。1302年にフィレンツェから追放され、1321年9月の13日(もしくは14日)にイタリア東部アドリア海(Adriatic Sea)沿岸のラベンナ(Ravenna)でその生涯を閉じた。

 貴族ではないが、裕福な家の出であるダンテは、食べるために働いたことはなく、政治や文学、哲学、天文学にも興味を示した。

■政治家ダンテ

 ダンテはフィレンツェ市政に積極的に参与し、1300年には統領の一人に選ばれた。

 ダンテは当初、ゲルフ党員(中世のイタリアで教皇を擁護した民衆派)だったが、教皇ボニファティウス8世(Boniface VIII)と結びついた勢力からフィレンツェを追放された。これにより、教皇の干渉にますます批判的になった。

 政変が起き、新たな政権が実権を掌握するとダンテは裁判にかけられ、フィレンツェから追放された。その後、ダンテがフィレンツェに戻ることは生涯なかった。

「神曲」は、ダンテが政敵らへの恨みを晴らす場にもなった。とりわけ、ボニファティウス8世に対しての強い思いは、地獄編に登場することからも見て取れる。(c)AFP/Alvise ARMELLINI