【3月12日 People’s Daily】中国・寧夏回族自治区(Ningxia Hui Autonomous Region)銀川市(Yinchuan)永寧県(Yongning)にある閩寧鎮(Minning)。春節(旧正月、Lunar New Year)連休も終わり、ここを拠点とする電子商取引業、閩寧禾美の作業場も、以前のように忙しくなった。従業員たちはライブ配信で商品の宣伝をしたり、梱包(こんぽう)したりして、クコ(漢方薬の材料になる植物)や赤ワインなど寧夏の特産品を全国各地に送っていた。

「ここに来たばかりのときは字もあまり読めず、作業場の責任者や鎮政府の幹部にパソコンの電源の入れ方、切り方から教えてもらった」と語るのは従業員の擺西彦(Bai Xiyan)さん。閩寧禾美で働くことになったのは2019年。とても勤勉だったことから、作業場の調達部長に昇進。月収は3000元(約5万円)近くになった。

 擺さんは閩寧鎮への移住者だった。かつて人口8000人余りだった閩寧村は20年以上にわたって努力した結果、6万6000人の模範的な移住地、閩寧鎮に変容した。移住民の年間の平均可処分所得は移住が始まったばかりの500元(現在のレートで約8300円)から2020年には1万4961元(約25万円)に急増した。

 1997年4月のことだった。当時、中国共産党の福建省(Fujian)委員会副書記だった習近平(Xi Jinping)氏は寧夏を訪れ、東部と西部の協力・支援活動について調査・研究を行った。その際、西海固(Xihaigu)の貧しさに驚き、戦略的な政策を打ち出した。それは劣悪な環境の中で生活する西海固の住民を、銀川の河套平原の開発予定地区に集団移住させ、「新たなふるさと」を建設させる、というものだった。そこは当時、「閩寧村」と命名された。

 閩寧鎮福寧村の党支部書記だった謝興昌(Xie Xingchang)氏は「かつてここは『空に鳥は飛ばず、地に草もはえず、風が吹けば砂や小石が地を走る』状況だった」とし、「われわれは家を建て、土地を平らにし、黄河の水を引いた。徐々に根をおろしていった」と語った。

 福建による寧夏支援が強力に推進されるなか、福建は閩寧鎮の事業を自身の事業とみなし、累計で3億元(約50億円)近くを援助した。中学校や小学校を建設し、毎年100人以上の幹部らを福建に招き、視察させた。

「20年余りの努力の結果、閩寧鎮は全面的に貧困から脱却した」と語るのは銀川市の張柱(Zhang Zhu)党委書記。閩寧鎮の6つの村のすべてが2020年末までに貧困から脱却したという。

 現在、閩寧鎮には福建から企業など13社が進出しており、投資額は22億8000万元(約380億円)に達する。これにより3500人の就職先が生まれた。寧夏全体では福建企業は5700社余りが進出している。年間の納税額は10億元(約167億円)を超え、10万人余りが就業している。(c)People’s Daily/AFPBB News