【3月11日 Xinhua News】東日本大震災から11日で10年を迎えるのに先立ち、9日、震災遺構としての整備が進む宮城県石巻市の旧大川小学校を訪ねた。

 2011年3月11日、2階建て校舎の屋上までのみ込むほどの巨大な津波が旧大川小を襲った。地震発生から約50分、校庭で待機していた児童たちがようやく校外に避難し始めたころだった。結局、児童108人中生き残ったのはわずか34人。教職員も11人中10人が亡くなった。

 震災から数年後、犠牲となった児童の保護者らが、子どもたちの命を守れなかった学校の責任は重いとして、石巻市と宮城県を相手取って損害賠償を求める訴訟を起こし、勝訴した。

 保護者らの怒りは、学校や行政の災害対策の不備や危機意識の欠如が避難行動の遅れを招いた点に集中していた。

 旧大川小は、東北地方最大の河川、北上川の河口から上流約4キロ地点に位置し、南を山、北を川に挟まれている。遺構に設置された案内板には、午後2時46分に地震が発生し、51分後の3時37分に津波が学校に到達したと記されている。児童たちはこの貴重な時間にわずか150メートルしか移動していなかった。しかも山ではなく川方面に向かっていた。

 現場にいた教職員の中で唯一助かった教員は、避難が遅れた理由について、学校自体が地域の避難場所に指定されていたため、地震発生後、児童たちには校庭で待機するよう指示したと説明した。大津波警報が発令される中、教員らがようやく児童たちを引率して避難を始めたが、その途中で津波にのまれたという。

 旧大川小を襲った津波の高さは8・6メートル。学校の裏山の中腹まで到達していた。地震発生後すぐに山の頂上まで登っていれば、助かっていたかもしれない。

 新潟から見学に来ていた男性(21)は「校庭から裏山まではわずかな距離なのに、避難しなかったのは残念でならない。裏山に続く避難経路を整備していたら、悲劇は起きなかったのでは」と語った。

 将来は地元で公務員として働きたいという男性は、新潟も海に面しており津波や豪雨などの災害に見舞われる可能性は十分にあることから、旧大川小の悲劇を教訓として、地元の防災対策に役立てたいと話した。

 校舎跡地周辺では、震災伝承施設の建設工事が進む。関係者によると、跡地周辺は防災教育や震災を語り継ぐための公園として整備され、一般公開されることが決まっている。(c)Xinhua News/AFPBB News