【3月23日 AFP】インドのパラバドミントン選手、マナシ・ジョシ(Manasi Joshi)は、9年前に恐ろしい交通事故に遭って脚を失った。そのかわりに、彼女はコートに自分の生きがいを見つけ、世界的な名声を得た。

 世界女王に輝き、今や米誌タイム(Time)の表紙を飾ったり、着せ替え人形「バービー(Barbie)」のモデルになったりと、大きな影響力を持つようになったジョシは、パラバドミントンが初採用された東京パラリンピックでの金メダルを目指す31歳だ。

 ジョシはソフトウエアエンジニアだった9年前、ムンバイでスクーターで通勤中にトラックと衝突し、左脚がつぶれ、両腕を骨折する大けがをした。ひどく損傷した左脚は切断する他なく、また歩けるようになるまでには数か月のリハビリを要した。

 しかし、この事故でもジョシの心は折れなかった。そして若者は、大好きなバドミントンをプレーすることで、もっと強くなろうと心に決めたのだった。

 自宅のある西部の都市アーメダバード(Ahmedabad)から、AFPの電話インタビューに応じたジョシは、「さまざまなことを学び、受け入れていく道のりだった」と語り、「大変に見えることに必死で取り組み、今やそれが当たり前になった。そんな長い道のりだった」と続けた。

 事故から3か月後には義足を装着してコートへ戻ると、6歳の頃に始め、学校や職場の大会で磨いてきたバドミントンの技術を駆使しながら、勝負勘を取り戻していった。そして義足をつけて5か月後には、職場の大会で健常の出場選手を破り、最初の金メダルを手に入れた。

「頭の方を使った。相手を走らせ、どこへ打ち込むにせよ、相手の打ち返したシャトルが自分の手元へ戻ってくるようにした。そうやってポイントを取った」

「あれが負傷後のターニングポイントになったし、あの優勝で自信が深まった」