【3月11日 AFP】巨大地震による福島第1原子力発電所の事故から10年。佐藤彰(Akira Sato)牧師(64)は、避難を余儀なくされた福島県双葉郡大熊町の教会に再び賛美歌が響き渡る日を夢見ている。

 2011年3月11日、地震直後の大津波で原発の冷却システムが制御不能に陥り、メルトダウン(炉心溶融)を誘発した。その原発から約5キロ離れた大熊町にある福島第一聖書バプテスト教会(Fukushima First Bible Baptist Church)は、当時のことが思い出される状態のままだ。

「ここに来て周りを見渡すたびに、涙が止まりませんでした」と、一時立ち入りで教会を訪れた佐藤牧師は語った。教会がある地区を含む大熊町の約60%は「帰還困難区域」に指定され続けている。

 放射線量の高い同地域へ入るには許可が必要で、原発事故から10年が過ぎた今でも防護服で身を包み、靴カバーやヘアキャップを着用しなければならない。

 かつては礼拝に数十人が集まっていたが、教会の時間は止まったままだ。正面入り口の掲示板には、開かれなかった日曜礼拝の案内が今も張られている。ゲートの上の十字架はぐらつき、小さな鐘はさびついて見えた。

 教会内のがらんとした信徒席には、一筋の陽光が差し込んでいる。講壇の上には数冊の聖書と賛美歌集が残されていた。その横にあるオルガンは、震災後、一度も弾かれていない。静寂に包まれたチャペルで、線量計のアラーム音だけが鳴り響いていた。

 切り立った屋根の教会の周辺には空き地がいくつも広がる。かつてそこにあった家々は、地震の被害や放射能の影響で居住不能となり、取り壊された。 

 地震が発生した時、アドバイザー牧師の佐藤彰氏は福島県外にいたため、佐藤将司(Masashi Sato)主任牧師(44)が大熊町の教会から教会員らを先導して避難した。